瑠璃色の心臓(ワンエピソードの例題)
ちょっと古い作品を晒してみる(w
これは、いわゆる「アニメの第一話」を小説にする、という課題で、私がずっと昔に書いたボツ企画書のシナリオを小説形式にしたものである。
念のために断っておくが、これは「ボツ原稿」であり、編集さんは、相手にしてくれなかったものである。つまり、この小説はプロ未満のレベルであり、最低ラインのさらに下にある。
これを書いたのは1999年の秋。いわゆる習作である。
ちょうど、デビュー作である「時空のクロス・ロード」を書き終えた頃で、
「でたまか」の前身である「アウトニア王国物語」をウェブに連載していた頃である。
「時空」と「でたまか」のようなSFっぽい話ではない、いわゆる伝奇ファンタジーものの引き出しが自分の中にどれくらいあるのか試してみようと思って書いたのだが
読み返してみて、やはり私には伝奇ファンタジーの素養が無いのだということを痛感させられたので、そのままファイルの中に放り込んであったものである。
本来ならこんなものは封印して海にでも流してしまうべきものだが、この作品には
「ワンエピソードの中で、物語のバックグラウンドを説明する」
という基本の要素が書かれているのでそのあたりが参考になればと思って、ここに公開する。(後悔する)のまちがいかもしれないが、まあそのへんは笑ってもらえればいい。
最初のエピソードの中で、読者に与える情報の分量はどれくらいがいいのか、というあたりを考えながら書いたので、そのへんの「書いてないけど読者がバックグラウンドを想像できるように書いてある部分」を読み取っていただけると嬉しい。
まあ、人それぞれだが、この辺のテクニックも、できることなら読み取ってもらいたい。
さて、本文。
「瑠璃色の心臓」
冷たく乾燥した北西の季節風が、サカトー街道を吹き抜けて行く。
巻き上がる街道の土埃と、西に傾いた夕日によって黄色く着色されたニゴの宿場を、風は冬の訪れが近いことを無差別に告げながら、通り過ぎて行く。
しかし、宿場の北のはずれにあるザジの宿屋の扉を揺らしたのは、風だけではなかった。
夕暮れが近い今の時間、宿屋と居酒屋を兼業しているザジの宿屋にやってくるのは、たいていが一夜の宿を求める宿泊客で、酒や食事、そしてひとときの憂さ晴らしを求める連中がやってくるのは、もう少し時間が過ぎてからだった。
その客は、背の高い男と少年のペアだった。
二人とも顔を見られたくないのだろう、灰色の厚手のローブのようなものをまとい、そのローブについているフードを目深にかぶっていた。
宿屋の入り口にあるカウンターに居た下働きの娘は、その二人連れを見て眉をひそめた。
男二人の旅人など、珍しくも無いが。この二人に普通の人間とは違う雰囲気を感じ取ったのだ。
先頭に立っている背の高い男が、少しフードを上げて口を開いた。
「今夜の宿をお借りしたいのだが」
その声から、男がまだ若いことを知った娘は考えた。
…旦那に知らせた方がいいかな。
「しばらくお待ち下さい、今、主人を呼んでまいります」
娘はそう言い残すと宿屋の奥に向かった。
奥にある厨房では、この宿屋の主人であるザジが、仕入れた材料の仕分けをしていた。
三十の歳に父親からこの宿屋を受け継いで十五年。
今ではでっぷりと太って主人相応の貫禄がついたザジは、仕入れから調理まですべて自分で仕切っていた。
「旦那さん、ちょっと」
娘に声をかけられたザジは、仕事の途中で声をかけられたことに少し腹を立てたが、すぐに思い直した。
この娘のカンは鋭く、今までなんども様々な自殺未遂をしそうな客や、お尋ね者といった「わけありの客」を判別してきた。
そうでなければ店のカウンターに置いておくはずがなかった。
「わかった」
ザジは、仕分けを途中で止めて、外したエプロンで手を拭きながら厨房を出た。
すれ違いざまに娘が耳打ちする。
「子供の方の客が、ちょっと…」
ザジは、軽くうなずくと。カウンターに向かった。
カウンターの前では、男が憮然とした表情で立っていた。
「お待たせしました、私がこの宿の主人でございます。お泊りですか?」
「さっきもそう言った。金が心配なら先払いしてもいいぞ」
「あ、いえいえ。そのような理由ではございません。最近このあたりも物騒でしてね、領主の方々から、見慣れない旅人に気を付けろとのお達しがございましてね、お客さんは初めてのお方ですな、失礼ですがお顔と、旅国鑑状を見せていただけませんでしょうか?」
男は黙ってフードを脱いだ。
二十代後半というところだろうか?しかし全体から受ける印象は、もっと年上のような気がした。それは、髪がロマンスグレーに近い白髪混じりなのと、幾多の苦難を経験した苦行僧のような目から来る印象だったのかもしれない。
男は、懐から黒い革表紙の手帳のようなものを取り出して。ザジの目の前で開いた。
開かれた手帳の上に黒いクリスタルのようなものが立ち上がった。
ザジは驚愕した。
マスタークラスの魔道師だと!。
「納得してくれたかな」
「は、はい、高位の魔道師のお方とは存じませずに、失礼いたしました。しかし。なぜあなた様のようなお方が供も連れず、他動車にも乗らずに…」
男は黙って手帳を閉じた。
「派手なことは嫌いなのでね。さて、これで疑いは晴れたわけだな、部屋へ案内してもらえないか?」
「はあ、確かにあなた様のご身分はわかりましたが、お連れ様は…」
男は不機嫌そうな顔になった。
「私の身分だけでは不満だと?」
「あ、いえ、とんでもございません、しかし、後でどのような詮議を受けるかわかりませんので、せめて、お顔だけでも拝見させていただければ、と思いまして」
男は、仕方ない。といった表情を見せると振り向いて、後ろに立っていた小柄な少年に向かって話しかけた。
「ユーミィ。フードを降ろしなさい」
声をかけられた少年は、すっと手を上げるとフードに手をかけてそれを脱いだ。
ザジは息を呑んだ
カウンターの横の酒場の中にたむろしていた連中が、しん…と静まり返った。
身体の線を隠す厚手のローブのため、ザジは、この客を少年だと思い込んでいた。
しかし、その客は少年ではなかった。
少女…それもとびきりの美少女だったのだ。
美しい。
これほどの美少女を、ザジは今まで見たことがなかった。
長い、艶のある黒髪と、透明感のある磁器を思わせるような肌目細やかな白い肌。そして形のよい眉の下にある切れ長の青い目。
桜色の唇は、みずみずしく輝いていた。
年の頃は十四・五歳だろうか?。
子供から、少女へと移り変わって行くその瞬間の、はかない美しさだけを昇華させて結晶化させたような少女だった。
しかし、何か妙だな。
ザジは、一瞬そんな疑問を感じていた。
少女には表情というものが無かった。
その青い瞳には何も写ってはいないような。そんな気がしたのだ。
しかし、その疑問の正体を調べる間もなく男は少女にフードをかぶせて、ザジに向き直った。
「これでいいな、怪しいものじゃないということはわかっただろう」
「はい、どうもすみませんでした。では、この宿帳にお名前とサインを」
男は差し出された宿帳に、魔道師特有の流れるような字体でサインした。
グレイ・ラルク・ディレーニィ…か。
そのサインを何気なく読み取ったザジは、その名前が、自分の記憶のどこかに引っかかっていることに気が付いていた。
こいつは…。
頭の中の、記憶の扉が開いた時ザジは、思わず手を打つところだった。
「肉人形師のグレイじゃねえか!」
肉人形師とは、魂を魔族に食われた抜け殻の人間に、かりそめの生命を吹き込むことを仕事にしている魔道師の総称。それも多分に軽蔑の意味を込めた呼び名だった。
魔族が魂を食らうのは、ほとんどが少女。それもとびきり美しい少女ばかりだったのだ。
魔族は、美少女を「花嫁」として要求する。
しかし、真の「花嫁」になれる少女は数少ない。「花嫁」になれなかった少女は、魂だけを食われて捨てられてしまうのだ。
魂を食われた人間は、意志だけでなく、すべての随意神経反応が消滅してしまうため、たいてい数時間で死亡する。
心臓は意志がなくとも動き続ける。しかし呼吸はそうは行かない。意志の力で呼吸を止めることが出来るように、呼吸は半分随意神経によって保たれている。魂を食われることによって人間は、呼吸することを忘れてしまうのだ。
そういった「魔族の食い残し」の美少女を手に入れて、蘇生させ、アニミュートによってかりそめの生命を吹き込み。金持ちや王家の好き者どもに「肉人形」として売りつけるのが「肉人形師」の仕事だったのだ。
蘇生やアニミュートの魔法の効力はせいぜい一月というところだった。
自分で食事を取れず、排泄もできない人間を生かし続けるには、治癒と蘇生の呪文を同時に発動させ、術者自身の生命力を送り込み続けるしかないからだ。
もっとも肉人形を買う人間にとっては、一月も生きていれば充分だった。
性欲の捌け口や、残虐な嗜好を持った変態性欲者にとってみれば、それは単なる物であり、良心の呵責にあうことなく好きなことができる玩具に過ぎなかった。
そう、肉人形は高価な玩具であり、秘密の存在だった。そして、彼のような存在が表だって話されることは無かったが。その存在は風の噂として広まっていた。
そういった風の噂が集まるところにザジがいた。
ザジは、グレイの先頭に立った。
「お部屋にご案内いたします。酒場の声などが聞えぬ奥のお部屋などはいかがでしょうか?」
「それはありがたいな」
ザジは、一瞬にやっと笑うと歩き出した。
部屋に案内されたグレイは、ザジに入浴の用意を依頼した。
ザジは下働きの娘に入浴の手伝いをさせるために部屋に向かわせたが、グレイはお湯だけを受け取り、手伝いを断った。
その答えを娘から聞いたザジは下卑た笑いを浮かべた。
今夜は、納品前の肉人形のテストってわけか。
こいつはちょいと覗かなきゃ損だな。
二人を案内した部屋には、隠し部屋がついていた。
わけありな客や追われている客。そして、何か仕出かしそうな客をその部屋に泊めて様子を見ることは昔から行われていた。
「あの客を見てくる、ここを頼むぞ」
ザジは、厨房で焼き肉をオーブンにほうり込んでからカウンターにいた娘に声をかけた。
娘は、一瞬咎めるような目でザジを見た。
「なんだその目は」
「奇麗な子だったけど…お風呂を覗くなんて。おかみさんが実家に帰っているからって、そんなことするのは感心しませんね」
「何言ってるんだ、そんな下心なんかあるものか。お前はあの客は妙だと思わないか?」
「そういえば…妙でしたね」
「どんなところが?」
「私、お湯を大きなポットに入れて持っていったんです、バスタブに入れるときに、そのお湯の跳ねたのが、あの女の子にかかっちゃったんです。でも、あの子何も言わないんですよ。私が持って行ったのは熱いお湯なんですよ」
「そうか、やっぱりな」
「やっぱりって…なんなんですか?あの子。まるで人形みたいだし」
人形と言う言葉にザジは少したじろいだが、娘は普通の疑問を口にしたような表情だった。
良かった、肉人形ってことは知らないみたいだな。
「そうだろ、だから様子を見なきゃならんのだ」
娘はにやっと笑った。
「趣味と実益ってとこですか」
ザジは憮然とした表情になった。
この娘は確かに頭の回転がよさそうだが、人情の機微というヤツに欠けてやがるな。
隠し部屋に入り、後ろの戸をしっかり閉める。
真っ暗なその小部屋から奥の離れの部屋へと通路が延びていた。
正確に言うならば、それは通路ではなく壁であった。
部屋に向かう廊下の壁、そして例の部屋の四方の壁は、すべて二重になっており、壁の中に人間一人が入るだけの隙間が作られているのである。
さて…と。
ザジは、舌なめずりをすると。あの美少女とグレイが、目の前で繰り広げるであろう痴態を思い浮かべながら壁の模様に似せて作られた隙間をのぞき込んだ。
そこには。
一糸まとわぬ姿でバスタブの中に立つ美少女の姿があった。
ふくらみかけた小さな乳房には、薔薇の花弁のようなピンクの乳首がつん、と立っている。
腰から尻にかけて、かたち作られる曲線は、未成熟な女性特有の硬質な流れを持ち、下腹部には、やっと萌えはじめた翳りをわずかに見ることができた。
腰まである長い黒髪と、コントラストを描くように白い。磁器でつくられたような、その透明感のある肌の質感に、ザジは思わず声をあげるところだった。
蝋燭の淡い明りに浮かびあがったそれは、まさしく等身大のビスクドールだった。
グレイが、少女に声をかけた。
「ユーミィ、座りなさい」
少女は、すっとバスタブの中に腰を下ろした。
それは、意志あるものの動き方ではなかった。
やっぱりな
こいつは肉人形だ。それもとびきり上等なヤツに違いない。
ザジは、淫靡な光景を期待しつつ、グレイを見守った。
グレイは、タオルと香油を取り上げると、ユーミィの身体を拭いはじめた。
白い指先から、今にも折れそうな花の茎を思わせるうなじへと、グレイの手は伸びて行く。
それは、壊れ物を扱う仕種に似ていた。
自分よりはるかに大切なものを扱うようなその仕種には、淫靡な気配など、何一つ漂っていなかった。
それは、医師や看護婦が病人に行う清拭よりも清らかで、丁寧なものだった。
やがて、ザジはグレイの背中が震えていることに気が付いた。
泣いているのか?
そう。グレイは泣いていた。
歯を食いしばり、下を向いて、グレイは泣いていた。
その食いしばった歯の間から漏れる鳴咽混じりの声を聞いた時。
ザジは驚愕した。
「ユーミィ…俺を許してくれ…ヴァルヴァリスの夜。俺がお前にしたことを…」
ヴァルヴァリスの夜だと!
その時、ザジはグレイにまつわるもう一つの噂を思い出していた。
それは、彼がヴァルヴァリスの惨劇の張本人だという噂だった。
グレイの独白は続いていた。
「許してくれ…俺を…お前から時間を奪ったこの俺を…」
ユーミィは無表情のまま、正面を見つめていた。
その瞳に写るのは虚無だった。
ザジは考えていた。
確か、ヴァルヴァリスの惨劇があったのは八年前…てことは、グレイはあの子を連れて八年も旅を続けているってわけか。
肉人形を八年生かし続けるために。
グレイは、どれほどの生命力を注ぎ続けてきたのだろう。
歳に似合わぬ灰色の髪の毛と、年輪を刻み込んだ目の暗さの理由がわかった。
グレイはしばらくユーミィの細い肩を抱いていた。
やがて、湯が冷めて来たのに気づいたのだろう。ユーミィをバスタブから出すと、乾い たタオルで身体を拭き、下着と部屋着を着せて抱きかかえてベッドへと運んだ。
ザジは、いくばくかの期待をもってベッドの様子が見える場所に移動した。
隙間から見えた光景は、ザジの下卑た期待を裏切るものだった。
ベッドに寝かせたユーミィのまわりにグレイが守護符を張っていた。
やがて結界を張りおわると、グレイは懐から引き出した革袋の中から、不思議なきらめ きを放つ青いクリスタルを取り出し、ユーミィの胸の上に置いた。
そのクリスタルが胸の上に置かれた時。
生命が吹き込まれたかのように、ユーミィの顔に微笑が浮かんだ。
それは。永遠の安らぎを得た天使のような微笑みだった。
グレイはしばらく無言でユーミィを見ていた。
そして、思い直したように、テーブルの上に置いてあった荷物の中から黒い袋に入った短剣のようなものを取り出した。
ザジのいる場所からは、その短剣の柄の部分に描かれた紋章は見えなかった。
しかし、グレイがその短剣を鞘から抜いた時に、ザジはその短剣の正体を知った。
その短剣は、あざやかな青白いオーラを引いて鞘から飛び出したのだ。
斬魂剣…本物だ。
あの剣は禁断の剣…魔族に仇なす剣として莫大な賞金がかけられているはずだ!。
いや…賞金だけじゃない、あの剣のありかを通報するだけで、領主から租税免除の特権がもらえるはずだ…こりゃあ俺にも運が向いてきたかな…。
息を止めてその剣の輝きを見ていたザジの視線が、グレイの視線と合った。
グレイの灰色の目が、ザジを正面から見つめていた。
ザジは、思わず壁の中でたじろいだ。
見つかったか!
思わず息を止める。
グレイは、しばらくザジの潜んでいる壁を見つめていたが、やがて視線を外した。
…見つかったわけじゃないらしい。
ザジの目の前でグレイはその短剣を振り上げると、寝かせているユーミィの両足の間に突き立てた。
短剣は青白いオーラの軌跡を引いて、マットレスに突き立った。
刀身から、陽炎のように霊気が立ち昇るのが、魔力を持たないザジの目にもはっきり見えた。
間違い無い…あれは、魔族すら斬ることができると言われている斬魂剣だ。
魔族があの剣を恐れていることは間違い無い。だからこそ莫大な賞金を懸けて探しているのだろう。
ザジは、考えた。
なぜ、斬魂剣を、あの少女の足の間に立てるんだろう…。
肉人形などに魔族が関心を持つわけがない、そもそも肉人形になる少女は魔族の花嫁として不適当だった少女のはずなのだ。
…と、いうことは。
一つの可能性に思い当たったザジは驚愕した。
まさか…そんなことができるわけがない!
しかし、グレイの行動は、それ以外に考えられないものだった。
あいつは…悪魔の花嫁を魔族の手から奪い返したのか!
魔族は、自分達の繁殖のために人間の女性を必要としていた。
魔族特有の遺伝子を受け継ぐためには、成熟した女性ではなく、未成熟の、初期の卵子が必要だった。
思春期を迎えて排卵が始まったばかりの年代の少女でなければ魔族の子供を宿すことはできなかったのである。
魔族たちは、自分たちの支配下にある人間の領主たちに、少女の供出を命じた。
少女たちは、思春期前に全員領主の元に集められ、そこで少量の血を採取される。
やがて…彼女たちが、子供から女に変りはじめる頃…魔族が、花嫁を選びにやってくるのだ。
花嫁に選ばれた少女は、魔族に連れ去られ、魔族の巣で魂を抜かれて子供を宿すだけの存在となる。
魔族は、少女の子宮を単なる細胞の培養の容器として利用した。
そして一年以上の妊娠期間を過ぎたとき、魔族は母胎を食い破ってこの世に誕生する。
この呪われた習性が、魔族を衰退に追いやった。
魔族にも女性は存在する。しかし、出産が危険を伴うことから彼女たちは、妊娠を極度に嫌ったのだ。
衰退しながらも、魔族は人間との混血を絶対に望まなかった。
なぜなら魔族にとって人間とは、魔力が使えない、できそこないの一族から生じた屑どもの総称だったからである。
魔族に襲われ、犯されないために、魔族が最も恐れる斬魂剣を少女の足の間に突き立てるということは…あの少女は、間違いなく魔族の花嫁に選ばれていたと言うことなんだ。
ザジの目の前で、グレイはもう片方のベッドの上に放り出してあった別の荷物の中から、漆黒の布によってぐるぐる巻きにしてあった、細長い棒のようなものを取り出した。
その布の中から現われたものは…。
短剣と同じ造りの剣…それは長剣だった。
グレイは、その剣を抱えると、寝ているユーミィの足元の床に直に座り込んだ。
やがて、その剣を肩に抱いてグレイは目を閉じた。
蝋燭は消さなかった。
ゆらめく蝋燭の炎の明かりの中でグレイは身じろぎもしなかった。
斬魂剣は長短二振りあるという。
かつて、人間と魔族の立場が、今と逆であったその時代、魔族どもを隷属させていた偉大なる魔術師ヴァルゲイン。
彼が創ったと言われている伝説の剣。
きっと、あの剣も斬魂剣なのだろう
ザジの目の前で、忠実な番犬が主人を守るように。
グレイは座っていた。
八年の間。
グレイは、ずっとこうやってユーミィを魔族から守り通してきたのだろう。
ザジは、壁の中で泣いていた。
遠い日のザジの記憶。
封印したつもりだった記憶…。
泣き叫ぶ少女と、それを護送してゆく兵士の一団。
「アンゼリク!」
丘の上から叫んでいるのは十七になったばかりの自分だった。
ザジとアンゼリクは、兄弟のように育った。
ザジの宿屋は、ザジの父と、アンゼリクの父との共同経営だった。
ザジの母親が、はやり病で他界したあと、ザジは、アンゼリクの母親に育てられたのだ。
そして、その歳の秋。
アンゼリクの両親の元に、領主の使いがやってきて、こう告げた。
「お前の娘が魔族の花嫁に選ばれたのだ、喜ぶがいい、租税は向こう十年無税となる」
アンゼリクは十六歳になったばかりだった。
ザジは、アンゼリクを連れて逃げるつもりだった。
魔族は、決して花嫁をあきらめない。
そして、魔族の復讐を恐れる領主たちもまた、絶対に逃亡を許さないだろう。
しかし。
ザジは逃げるつもりだった。
アンゼリクを連れて、どこまでもどこまでも逃げ切ってやるつもりだった。
その夜。
ザジは誰にも何も言わずに旅支度を整えると、宿屋に泊っている兵士たちに酒を運んだ。
やがて…夜半を過ぎた頃…兵士たちのほとんどが酔いつぶれた時を見計らってザジはアンゼリクの部屋に忍び込んだ。
そうだ…あの時、アンゼリクがいたのも…この部屋だったんだ。
ザジは、隠し扉から室内に入った。
その、物音に気が付いたアンゼリクが小さな声でたずねた。
「ザジでしょ…」
月明かりの中で、ベッドに座っているアンゼリクの姿が見えた。
「寝てなかったんだ」
「寝れるわけないじゃない…」
ザジは、持っていた雑嚢をアンゼリクの前に置いた。
「着替えと…靴だ、さあ早く着替えて」
アンゼリクは、黙ってその雑嚢を見ていた。
「どうしたんだ、早くしろよ、兵士に気づかれないうちにさっさと逃げないと…」
ザジの言葉をさえぎるように、アンゼリクが言った。
「私は…逃げないよ」
ザジは驚いた。
アンゼリクは、自分と一緒に逃げてくれるものだと思い込んでいたからだ。
「なんでだよ!お前…このまま魔族の花嫁になるつもりなのかよ!魔族に…犯されて…腹食い破られて死んでもいいっていうのかよ!」
アンゼリクは、小さく微笑んだ。
「嫌だよ…でも…私が逃げたら父さんや母さんに迷惑がかかる…ザジのお父さんや、この宿場のみんなにだって、すごい迷惑がかかると思うんだ…魔族の復讐は生半可なものじゃない、って言うじゃないか」
ザジは、しばらく説得する言葉を捜した。
でも、言葉は見付からなかった。
ザジの口から出た言葉は、説得の言葉ではなく、ザジの思いのたけだった。
「でも…でもよ…だからといってお前が犠牲になることはないんだ!お前がいなくなって…その代わりに平和に暮らせたって、無税になったって…そんなことはお前の代わりになんかならないんだ!お前にいて欲しいんだ!だって…だって…俺はお前が大好きだからなんだ!」
ザジの言葉を聞いていたアンゼリクは、最初身じろぎ一つしなかった。
やがて。
部屋に差し込む月明かりの中で、その身体が小さく震え出したのが見えた。
「やっと…やっと言ってくれたね…ひどいよ…ザジ…こんな時に言うなんて…もっと、もっと前に言ってくれれば…一緒にどこでも行ったのに…こんな時に言われたって嬉しくなんかないよ!」
ザジが、アンゼリクの涙を見たのは、この時が最初だった。
勝ち気で、陽気で、元気で、働き者のアンゼリク…。
歌が好きで、子供たちと遊ぶのが好きで、小生意気で、でも、優しかったアンゼリク…。
ザジの手から靴が落ちた。
何と言っていいかわからなかった。
「…ごめん」
やっと、その言葉だけが口から出たとき。
アンゼリクがザジに抱き着いた。
「ごめん…って言うのはわたしだよ…わたしにも勇気がなかったんだ…ザジとけんかばっかりしてたから…素直じゃなかったから…」
アンゼリクは、ザジの手を取って、自分の服の胸元に導いた。
「…アンゼリク?」
ザジのとまどいをよそに、アンゼリクは恥ずかしそうに微笑んだ。
「魔族なんかにあげたくない…あげるならザジにって決めてたんだ…」
三十年前の記憶…。
日々の暮らしの中で、いつしか忘れていた記憶…。
いや…忘れたつもりだった記憶…。
ザジは、魔族が怖かった。
だから、魔族に逆らうものを嘲笑することで自分をなぐさめた。
日々の暮らしの中で、畏怖は隷属に変わった。
この宿屋を父から譲り受け、結婚し…。
すべての記憶を心の奥底に埋めて封印し。
一日の売り上げに一喜一憂して…。
いつしか魔族と、その手下である領主どもの言いなりになり。
租税の軽減のためならなんでもする自分がそこにいた。
魔族が憎かった。
勝てないことがわかっているからこそ。
魔族が憎かった。
いや…俺が憎んだのはアンゼリカを見捨てた自分自身だったんだ。
ザジは泣いた。
声を出さず、歯をくいしばって…。
ザジは泣いていた。
そうか…。
三十年前。
俺にできなかったことをやってのけた男が。
ここにいるんだ。
魔族は、自分達に逆らった人間を決して許さない。
八年前、オーイ地方の山沿いにある小さな都市、ヴァルヴァリスを惨劇が襲った。
偉大なる魔道師ヴァルゲインの名前の一部をもらって作られた「学園都市」ヴァルヴァリスは、魔道についての研究を魔族と、その眷族である領主が禁じられ、今ではごく普通の日常生活に役立つ程度の魔術を教える学校が細々と魔道の知識を伝えるだけの街になっていた。
その街が、一夜にして死の街と化したのだ。
街に居住していた者すべて。
赤ん坊から老人まで男女を問わず、すべての人間が、首をねじ切られた姿で発見されたのだった。
苦悶の表情を浮かべた無残な死に様は、その死が一瞬に訪れたものではないことを示し ていた。
それは魔族の仕業だった。
そしてその歳の秋、市長の娘があろうことか悪魔の花嫁に選ばれた。
市長という立場で、魔族に逆らう事は絶対に許されない。
しかし…この街の魔法学校の若い魔道教師が、魔族に立ち向かったのだ。
やがて、花嫁を迎えに来た魔族が、その魔道教師の手によって結界に閉じ込められ倒された。
しかし、魔族は一人ではなかったのだ。
魔族は、その復讐のためにヴァルヴァリスの街を滅ぼした。
魔族一人の命の価値は、一つの都市に生きる人間全員の命の価値より思いのだということを示すために。
若い教師は、魔族の手によって骨のカケラも残さず焼き尽くされた、とも、生きながら刻まれ、蛆虫に食われた、とも、言われていた。
中には、その教師は、悪魔の花嫁を奪い返し、抜き取られた魂をも取り返したのだ…と言う噂もあった。
しかし、人々はそれを鼻で笑った。
いかに魔道の道に長じていようとも、魔力では魔族に勝てるわけがない。
人間に、魔族を殺せるわけがないからだ。
青二才の魔道教師が、身の程知らずにも魔族に逆らったために、ヴァルヴァリスの街は滅びたのだと人々は噂した。
その魔道教師の名前は伝わっていない…しかし、世の人々は、その愚かな魔道教師こそ肉人形師のグレイだと噂していた。
壁の中から、ユーミィの足元に座っているグレイを見ながら、ザジはうなずいた。
あんたは…。
あの時。魔族に勝ったんだな。
人間は…。
魔族に勝てるんだな。
ザジは涙を拭うと口を一文字に結び、隠し部屋から出て行った。
次の日の朝。
宿代を支払おうとしたグレイに向かってザジは言った。
「これからどこへ…おっと、それを言うわけにはいかないだろうし、こっちも聞くわけにはいかない…ただ、峠を越えるなら早い方がいいな、それから…これは何日か前に来た客が忘れていったものなんだが…宿屋に置いておくわけにもいかないから、どこか川にでも捨ててくれ」
そう言いながらザジが差し出したのは、旅国鑑状だった。
「これは…」
「魔道師の鑑状だけじゃ不便な時もあるだろう、名前ってのは、荷物にならない便利な道具だぜ、ちゃんと二人ぶんある、それから…表にワインと結界包に入った料理が入ってるザックの忘れ物があるんだが、お前さん、ひとつ届けてくれんかね?朝早く発った客の物だから、急いでいけば追いつくだろう…客の名前は…確かグレイ、とかいったと思う」
グレイは戸惑っていた。
今まで、旅をしてきて、冷たい敵意を持った目で見られた事は何度もあった、しかし、ここまで親切にしてもらったことは無かったからだ。
怪訝な顔をするグレイの目をザジは正面から見た。
「そしてな…あんたから宿代ををもらう気はない」
ザジは言葉を切ってから続けた。
「…三十年前、俺はあんたと同じ事をやろうとした、でも…俺にはできなかった、だからだよ」
グレイは目を見開いた。
「だから。あんたから金をもらうわけにはいかないんだ」
グレイとザジは無言で視線を合わせていた。
やがてグレイが目を伏せた。
「魔族の眷族どもが来るかもしれん…領主に知れたら、ひどい目に会うかもしれないぞ…いいのか?」
「なあに…八年も旅を続けてる男の苦労に比べりゃ屁でもないよ、それに、兵隊どもが来たら、うちは料金を踏み倒された被害者だ!って言ってやるつもりだ」
ザジは、片目をつぶってから付け足した
「間違ってはいないだろう?」
グレイは笑った。
ザジは初めてグレイが、まだ二十代の若者だったことに気が付いた。
「お言葉に甘えさせてもらおう」
「あんた…本当の名前は何て言うんだい?」
グレイの目の奥で何かが光った。
その光を見たザジは下を向いた。
「すまん…言うわけにいかないのが当然だな…じゃあ、代わりに、あんたが追っている魔族の名前を教えてくれないか?」
「アーヴェ」
「幸運を祈ってる。もし、またこの街に来たらぜひとも寄ってくれ」
「わかった…ありがとう…行くよユーミィ」
グレイは少女を連れて宿屋から出ていった。
ザジは閉められた扉を見つめながら、夕べ、少女の胸の上できらめいていたクリスタルを思い出していた。
あの時、少女の胸の上に置かれていた青いクリスタルが、あの子の魂なんだろう。
アーヴェを倒さない限り。
あの子の魂が元に戻ることはないんだ。
ザジにはそれが、瑠璃色に凍り付いた心臓のように思えた。
いつか、あの心臓に赤い血が通う時が来る。
その日が来るのを心から祈ってるぞ、グレイ。
北西の季節風の第二陣が、二人が出ていった宿屋の扉を揺らしていた。
それは、山から初雪の便りを運んでくる風だった。
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