まほつく。 ぶきっちょ彫師とまっかなビール 前編

 まほつく。ぶきっちょ彫師とまっかなビール 前編
 
 
 昼と夕の間。ここには、静寂が訪れる。
 音の消えたBacafe『Accueil』はシンと静か。こういう時間、好きだな。
 グラスの最終確認をしていたマスターが奥から出て来る。素敵な笑みが、わたしを包んだ。
「トマトさん、今日はお疲れ様でした。団体さんが多くて大変だったでしょう」
「いえいえ、その分とっても楽しかったですから。あ、コーヒー淹れますね!」
 喫茶タイムとバータイムの間でコーヒーを一杯作って飲むのが、わたしの密かな愉しみ。『Accueil』ではコーヒーサイフォンっていう、フラスコをランプで熱してドリップする機械があって、その魔法のような仕組みを眺めているだけでも充分に癒されちゃう。
 でもま、この町では魔法なんてありふれたもの。だってここは、魔法使いの町だもん!
 魔法使いになりたい。その一心でここ、真木乃町に来て、もう二ヶ月が経とうとしてる。でも、やっぱり魔法は難しい。マスターのように素敵な魔法を使うには、まだかかりそう。
 だから今は、誰でも使える魔法の道具で、魔法つかいたーい欲を満たしてる次第。このコーヒーサイフォンのランプも、アルコールランプではなくて、火の精霊さんが封じ込まれているマギランプってやつ。火種がいらず、ランプの端を小突いてやると、火がぽふっと。
 ぽす、ぷすぷす、ほふ……。
「あれ? マスター、マギランプの調子が」
「おや、どれどれ……ああ、いけませんね」
 困った顔のマスターは、ランプの土台を指差す。指の先を見てみれば、土台に刻まれた模様の端が、ぷつっと切れていた。
「この模様、何か効能があるんですか?」
「魔彫といいましてね。精霊などの霊魂を制御する為に必要な物です。この店にある精霊道具にも全て、魔彫がほどこされていますよ」
「へえ、マッチョですか」
「魔彫、です」
「そうそれ」
 おちゃらけるわたしに、マスターはホッと笑って、柱時計を見上げる。そろそろ時間だ。
「店内の事は私とレンでしますから、トマトさんは下のボードを変えてきてください」
「はーい」
 びしっ、と敬礼して、カウンターから出る。ガラス戸を開け、一人半くらいのスペースしかない細い階段を降りた先。寂れた裏通りには、ほとんど人通りがない。真っ赤な髪をポニーテールに束ねた作業服の女性が、背を丸めて通り過ぎていっただけ。
「よし、へんしーん、と」
 カフェメニューの書かれたボードをひっくり返せば、バーメニューの書かれたボードに。そして、忘れちゃいけない決まり文句。
 フェルトペンのキャップを外して書き書き。いつでもお待ち。
 ……ん?
 視線を感じて振り返る。でも、裏通りにはほとんど人が居なくて、くせっ毛の赤毛を束ねた作業服の女性が通り過ぎていっただけ。
 気のせいかな。まあいいや。いつでもお待ちしておりま。
 ……ん?
 視線を感じて再び振り返る。でも、裏通りにはほとんど人が居なくて、背中まである長い赤毛を束ねた作業服の女性が通り過ぎて。
 て、この人、行ったり来たりしているの?
 思わず凝視。そして目が合う。
「あ」
 お互い、次の言葉を見つけられないまま、じっと見つめ合う。女性の目は茶、というよりオレンジに近い色をしていて、まるで燃え上がる炎の一片のよう。でも彼女の表情は、消えた火種のように暗く沈んでいた。
 声かけないと。そう思った瞬間、女性はぱっと駆け出そうとして、通行人にぶつかった。
 バランスを崩し尻餅をつく女性。彼女にぶつかられた通行人は……あら、常連さんだ。
「あービビッた。前見なさいよね、全く」
「ツララさん、今日は早いですね」
「イライラしてきたんでねー」
 疲れた息をひとつ。ツララさんは着ていたロングコートをはたくと、まだ尻餅をついたままの女性を見て、ニタリ、と笑った。
「あんた、一緒に飲む?」
「いや、オレは、その」
「決定。よし行こ」
 有無も言わさず、女性を引っ張り挙げたツララさんは、その腕をとったまま細い階段をガシガシと昇っていく。わたしはただ、呆然とその一部始終を見ているしかなかった訳で。
 おっと、そうだった。書きかけのボードに、最後の一文字を足して。
「いつでもお待ちしております、と」
 そう、『Accueil』は、いつでも、誰でも、笑顔でお待ちしております。
 
 
「へー、サラっていうんだ」
「うい。満田、沙羅、っす」
「いい名前じゃない。あ、あたしツララ、降星ツララっていうの。よろしくねえ」
「う、うっす」
 いかにも軽いツララさんと、硬派なサラさん。そんな二人が仲良くなってしまうのが、ここ、『Accueil』の良いところ。
「あんたの髪、きれーねー。地毛?」
「うっす。生まれた時から、っす」
「へえ。外国の血が入ってるわけ?」
「うっす。祖父方がちょっと。オレは良く知らないんすけどね」
「ほおほお。歳からするとこの町生まれ?」
「うっす。生まれも育ちも真木乃っす」
「じゃアタシと同じだ、親近感感じちゃうなあ。仲良くしようね、サラあ」
「う、うっす」
 コートハンガーにツララさんのロングコートをかけつつ、つい、クスリと笑ってしまう。だって、サラさん、さっきから「うっす」ばっかり言ってるんだもん。作業服姿からして堅い職業だと思うけど、中身までとは。
 もっとも、彼女が固まる理由はそれだけじゃない。ちらり、と振り返った先、メニューをめくるツララさんの白い腕、腹、脚。見てるこっちが恥ずかしくなるような、その格好。
「で、あの、ツララ、さん。何でその」
「ん、この格好? 暑いから、以上」
 きっぱりと言い切られ、サラさんもそれ以上追及できない。でもホントに、ツララさんにとって、水着姿は普段着と同じなのです。
 艶やかできめ細かい肌を惜しげもなく晒したツララさんは、サラさんの肩を小突いて、ニヤリ笑う。
「ほら、こんな格好のヤツが居るんだから、作業服なんて全然大丈夫。でしょ?」
「は、はあ。そう、なん、っすかね」
「気負わなくていいの。なんたってここは、『Accueil』なんだから」
「あっくえいる?」
「フランス語で『ようこそ』という意味です。他のバーなら気後れしてしまう人でも、分け隔てなく招く。そういう意味で付けました」
 マスターの声に、はっと顔を上げるサラさん。彼女はじっとマスターを見つめて、ゆっくりと視線を下に落とした。彼女は何を思っているのか。探ってる。そんな気がした。
「じゃマスター。アタシ、マティーニ」
「かしこまりました」
 マスターが手際よくカクテルを作っていくのを、サラさんは真剣に見つめてる。もしかして、サラさんもバーテンダー目指してるとか? でもそれにしては、格好も雰囲気も違うし。内心考え込みながらカウンターの中に戻るころ、マスターの一杯が完成する。
「どうぞ、マティーニです」
「はーい。んー、おいしい。さすがマスターの一品。トマト、あんたも精進しなさいよ」
「はは、はあい」
 たしかにまあ、わたしはステアもシェイクもまだまだだけど、なぜツララさんに怒られねばならぬのか。何かこう、理不尽。
 むっとした顔を押し殺しつつ下を向けば、あの、壊れたコーヒーサイフォンが目についた。そういえば、ツララさんもアイスコーヒー好きだったな。直し方、知ってるかも。
「ツララさん。魔彫の直し方、知りません?」
「魔彫? そりゃ魔彫師に頼むしかないわよ」
「マッチョ師?」
「魔彫師。まあ、魔木乃には沢山いるし、外の町の機械加工とかと同じ感じよ」
「へえ。そんなに居るんですか、マッチョ師」
「だから魔彫師。わざとやってんでしょが」
 えへへ、バレてしまいました。でもそっか、この町では精霊道具も普通に見かけるし、魔彫師さんも工場なんかに沢山いて、一つ一つ、制御の彫刻を刻み込んでいってるんだろな。作業服なんか着ちゃって。そう作業服……。
 はっとした瞬間、彼女は椅子を蹴り、立つ。
「わ。どしたの?」
「それ! ……それ、直させてください」
「え、じゃあ、あんた」
 ツララさんの素っ頓狂な声。わたしのびっくりした顔。マスターの笑顔。諸々を受け止めて、サラさんは、こっくり頷いた。
「オレ、魔彫師、なんっす」
 
 
 つづく。

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