まほつく。もどかしさと一杯のカクテル。 前編

まほつく。もどかしさと一杯のカクテル。
 
 
 飲み干す瞬間、額に鈍い痛み。
「ん、んく、くはあ……」
 マティーニのグラスを置く。舌に残る味を確かめる。
 おいしい。はず。わたしの口には合ってる。けど、それが他の人に合うかは分からない。じゃあどうすれば。練習するんだ。お客の味覚を、嗅覚を、腕でねじ伏せてしまえば良い。
 バーカウンターの奥の棚から、リキュールやスピリットをいくつかを選びとる。カシス、カンパリ、アイスジン、ウォッカ。冷蔵庫を開ける、オレンジ、サイダー、ウーロン茶。割り物を次々と手に取る。カウンターに並べ。練習、続けよう。
 カシス四十五ミリリットル。オレンジ適量。
 お酒を直接タンブラーの中に入れ、軽く混ぜる。ビルドという、カクテルの中で一番簡単で、それでいて奥の深い製法。
 まずは基本から。そう思って作ったカシスソーダ、カシスウーロン、そしてこのカシスオレンジ。どれも上手く出来てる……ような気がする。いや、本当に上手くできてるんだろうか? わからない。わからないから、一口飲んで、二口飲んで……やっぱりわからない。一気に飲み干して、次にとりかかる。
 カンパリ二十、グレープフルーツ三十。トニックウォーター適量。併せてビルド。カンパリスプモーニの綺麗な桜色に、ほっと息をつく。そう、この色。これこそカクテルの。
『これは、カクテルじゃないですね』
 ……カクテル、なんだろうか。これは本当に、お酒を混ぜ合わせたものなんだろうか。いや、そもそも、カクテルって何なんだろうか。わからない、わからないから飲む。
 また、じくじくとした頭痛。酔ってるのかな。いやいや、バーテンダーがこれくらいで酔っ払うなんて問題外。そんなにお酒の痺れる感じもしないし、大丈夫、大丈夫。
 また、基本の基本に戻ろう。カンパリソーダ、カンパリオレンジ、カンパリトニック。二種類の材料をゆっくりと混ぜて、確かめる。ちゃんと混ざってる。はず。多分。きっと。
「大丈夫、だよ」
 自分に言い聞かせる台詞が、こんなに虚しいとは思わなかった。なにしてるんだろ。凹む暇があったら、もっと綺麗な、もっと素敵なカクテル、作らないと。よし、次はこれ。
 ジントニック、カクテルの定番。定番過ぎて、どう工夫すればいいのかわからなくなる。ブラッディメアリー。大好きなトマトのカクテル。でも、ウォッカの割合が違う気が。
 満足できない。納得できない。もっと、もっと上手いカクテルができるはずだ。リキュールとスピリットだけじゃダメなのか。もっと違う、色んなカクテル、作らないと。
 冷蔵庫を探す。あった、ビール。泡の扱いが気になるレッド・アイ。上手くできてるか……わからない。もやもやと一緒に飲み干す。
 次のリキュールを探そうとして、腕に何かが当たった。
 瞬間、店内に響き渡るガラスの叫び。
「あ……」
 視線を落とす。割れたグラス。照明を乱反射するガラスたちの遺体。その中心に、てらてらと光るオリーブの実が転がっていた。
「ああ……」
 手を伸ばす、届かない。なぜ? ガラスのきらめきがやけに眩しい。
 目に映る、ガラスの破片。それがだんだん二重になって、三重になって。やば、わたし、酔ってる。気づいたとたん膝が砕けた。尻餅をつく。こらえきれない。倒れる。後頭部に硬い床の感触。痛い、痛い、痛い痛い痛い。何が痛い、心が痛い。悔しい。なんで出来ないんだ。わたしは素敵なカクテル作りたいのに。もっと上手くなって、どんどんお客様を幸せにしたいのに。こんな所で寝てちゃいけないのに。起きて、起きてよわたし。さあ、立ち上がって。立ち上がれない? やだ。やだよ。指先、冷たい。凍る。寒い。寒いよ。目。揺れる。かすむ。遠く。音が遠く。消えていって。
 なぜか、ジャズのリズムが聞こえた。
 
 
 ジャズの音色に、賑やかな声が混ざる。
 今日の『Accueil』はいつもよりも一段と多くのお客様で賑わっていた。カウンター席はほとんど埋まっていて、ボックス席でも、角帽子を被ったり、曲がった杖をわきに置いたお客様が、楽しそうに談笑している。
 お店が賑わうこの時間が、わたしは一番好き。馬鹿笑いしている人、静かに、でも幸せそうに一杯を楽しんでいる人。色んな人と、その人の傍にあるカクテル。それを見るのが、バーテンダーやって良かったと思える瞬間だ。
「マスタぁ、お勧めを一杯」
「畏まりました。それでは」
 手際よくリキュールとスピリットを揃え、グラスに注ぐマスター。グラスの中、氷とガラスの間でバースプーンが音もなくすべり、二つの違う液体を、一つのカクテルにする。
 差し出されたグラス。お客様の笑み。
 たった百ミリリットルにも満たない飲み物で、人はあんなにも笑顔になる。もっとも、それにはマスターレベルの腕前が必要だけど。
「トマトちゃん、ビールちょうだい」
「あ、はーい」
 バーテンダー見習いであるわたしは、まだあまりカクテルを作らせてもらえない。いや、作る必要性がない、かな。お客様の前に出す以上、ステアもシェイクも超人級なマスターに任せておけば安全だし。わざわざ、わたしがしゃしゃり出ることはないもん。
 常連さんにビールを出して、手元にあった水滴の残るグラスを、乾いた布でキュッキュと拭く。見習いは見習いらしくしないとね。
 でも、ちょっとだけ、考えちゃう。
 シェイクはともかく、ステアの腕は、それなりに上手くなってきた、と思う。これでも二ヶ月間、『Accueil』の看板娘としてやってきたんだし、そろそろ、お客様に出せるものを作っても良いんじゃないか。
 頭ではそう思うんだけど、口に出せないのは、やっぱりマスターの凄さを目の当たりにしてるからかな。軽やかなダンスを踊るような手先。見てるだけで惚れ惚れするシェイク。だけど、わたしだって、さ……。
 カウベルが鳴ったのは、そのとき。
「いらっしゃいませ。ようこそ、『Accueil』へ」
「やあ。カウンター、開いてる?」
 そう言ってニヤリと笑ったのは、山高帽を被ってロングコートを身にまとった男性。ハッとするほど整った細面は……どこかで見たような気が。こんな格好良い人と、どこで?
「はは、いかにも不思議そうな顔だね」
「え、あ、すみません。お客様、えっと」
「ヒントを出そうか、ワン、ツー、スリー」
 掛け声と共に、山高帽がひょいっと持ち上げられる。その下で、つるつる光るお皿。
 ニヤニヤ笑顔とお皿。見比べてあっと気がつく。
「あ、カッパさん? カッパさんですよね!」
「正解。さすがに本性では来られないからね」
 そう言ってカウンター席に座ったのは、山の大沼に住む合羽さん。常連さんだとは聞いていたけど、わたしが店で働き始めてからは初の御来店。他の常連さんも、笑顔で迎える。
「カッパちゃぁん。元気にしてたぁ?」
「お陰様で。霊石の流通ルートがなんとかなって、やっと美味い酒が飲める」
「カッパちゃんといえば、ここの常連で一番のグルメだもんねぇ。さすがカッパ」
「はは。沼のあやかしとしては、水の質には厳しくならざるをえないので。職業病ですよ」
 おどけて笑うカッパさんにつられて、周囲から笑みがもれる。店に流れる和やかな空気。これこそ、『Accueil』らしさ。その場にいる者を素直にさせる、不思議な力。
 でも、そんな空気の中、わたしはひっそり、早打つ鼓動を感じていた。
 グルメ? 水の質に厳しい? つまりは、お酒にもうるさいお客様なわけだ。もしそういうお客様に認められたら、わたしももっと、お客様に色んなカクテルを作らせてもらえるはず。これはチャンスだ。きっと、絶対。
 だから、マスターが注文を聞く前に、ずいと前に進み出る。
「お客様、ご注文は」
「その格好だと、トマトさんも大人の女性って感じだね。うんうん、良いことだ」
「あの、お客様……」
「ああ、注文だっけか。何でもいいよ」
 あっさりと。一瞬、台詞の意味がわからなくて、すぐ胃がギュッと痛んだ。何でもいい、それはつまり、わたしが一番上手くできるものを飲んでやろうという挑戦。どきどき、胸が高鳴る。無意識に握り緊めていた手を開けば、じっとりと汗にぬれていた。だめだよ、こんな時こそ落ち着いて。やってやる。
 棚から出すのはジン、そしてベルモット。それを見たカッパさんが、笑みを深くした。見られてる、試されてる。頑張らないと!
 手の震えを押さえながら、ミキシンググラスに氷を入れ、水で氷の角を取っておく。そしてジンを、静かに、ゆっくり、入れる。
 ジンを置き、ベルモットを掴む。ひんやりとした感触。でも、わたしの頬は熱いまま。
 グラスにベルモットを注ぎ、バースプーンを取り出す。氷とグラスの隙間にバースプーンを差し入れ、回す、回す、止める。
 息を止めて、バースプーンを抜く。ミキシンググラスにストレーナを被せ、最後の行き場所、カクテルグラスに、透明なカクテルを、そっと注ぎ込んだ。
 中身を注ぎ終える直前、ミキシンググラスをばっと外す。容量はばっちり。オリーブの実を添えれば、カクテルの王、マティーニの完成。
 作り上げた瞬間、大きく息をつくのを止められなかった。全力は出し切った。いける。
 息を整え、グラスを差し出す。
「どうぞ、マティーニです」
「ありがとう」
 グラスを持ったカッパさんは、一口、マティーニの水面に口をつける。舌の上でその味を確かめるように目をつむったカッパさんは。
 ことり、とグラスを置いた。
「あの、お客様」
「ダメだね」
「え?」
「ダメ、と、言ってるんですよ」
 そう呟き、にこり、と笑うカッパさん。その顔には悪意らしきものは感じられなくて、でも、彼の言ったことは、わたしの腕を、ううん、わたしを、完全に否定していた。
 何か言おうとする。でも言えない。かわりに、手がすべった。
 グラスに当たるバースプーン。バンシーの叫び声のようなひどい音が、店内に響き渡った。
 店のざわつきが、一瞬にして静まる。集まる視線。身じろぎすらできない。
 膝が震える。喉が引きつる。ダメ? ダメって、ダメなの? わたし、何かミスしてた? ステアはそれなりに出来てたはず。それなのに彼はたった一口で。何がダメだったの?
 店中の視線が、わたしとカッパさんに注がれている。何か言わないと。焦る。どう声をかけるべきか。考える。浮かんだ、いや、それしかない。カッパさんを真っ直ぐに見つめる。
「お客様、何処が、お気に召しませんでしたでしょうか」
「知りたい?」
「……はい」
 動揺を悟られたのか、カッパさんはニヤリと笑うと、マティーニのグラスをつつく。
「これは、カクテルじゃないね」
「それは、どういう」
「秘密。トマトさんなら、きっと、分かりますよ」
 ……わかるわけ、ないじゃないか。
 でも、そんな態度を表に出せるほど、わたしは気弱じゃない。だから、それからの営業も、いかにも気にしてませんって感じでやって。カッパさんが常連さんと談笑しているのを、必死に見ないようにして。なんとか、閉店時間までこぎつけて。
 店のBGMが止まった途端、緊張の糸が切れた。
「トマトさん、お疲れ様です……トマトさん?」
「う、ぐ……マスター、ごめんなさい」
「ああ。今日のことはいいですから。明日は夜シフトでしょう、ゆっくり休んで下さい」
 マスターの気遣いは、正直、辛かった。マスターに気を使わせなきゃいけないくらい、わたしの腕は悪いんだ。もっと凄いカクテル作れるようにならないと、マスターに迷惑かける。
 ……やらなきゃ、やらなきゃわたし。
「マスター」
「はい」
「居残りして、いいですか」
「……はい。ただし、お体にはお気をつけて」
 マスターの台詞の意味を、その時のわたしはわかっていなくて。
 でも、とにかく、練習しなきゃって思った。練習して、練習して、練習――。
 
つづく。

この記事へのトラックバックURL:

http://drupal.cre.jp/trackback/587


この記事をブックマーク

人気コンテンツ