まほつく。 もどかしさと一杯のカクテル。 後編

まほつく。 もどかしさと一杯のカクテル。

「練習……う、ん?」
 薄目を開ける。頭痛。ガンガンする、つらい。
 耳に優しく、ジャズのリズム……まさか開店中? やば!
 慌てて顔を上げた先に、いつもの糸目スマイルがあった。
「マスタ、いっ、頭、痛……お店、開店、して、ない?」
 辺りを見回す。いつもの、見慣れた『Accueil』の姿。でも、お客の姿は一人も居なかった。強いて言うなら、カウンター席に座ってるわたしが……わたしが、お客様?
「お目覚めになりましたか」
「マスター、わたし」
「ご注文は?」
 へ? と見返す。でもマスターは、普通に、カウンターでお客様のご注文を受ける時と同じ笑顔で、わたしの言葉を待っていた。
 注文、どうしよう。でも、こんな頭痛じゃお酒なんて。ああもう、考えるのもつらい。
「何でも、いいです。マスターの作るものなら何でも」
「かしこまりました」
 はは、やっぱり。マスターくらい凄いバーテンダーになると、どんなものでも大丈夫! て感じになるんだね。わたしとは大違いだ。わたしみたいな半人前とは、大違い……。
 頭が粉々になりそう。カウンターに腕を置いて、その上に頭を押し付ける。思えば、カクテルにして飲みやすくなったからって、お酒はお酒。あれだけ飲めば倒れるに決まってる。そんなことさえ、わたしはわからなかった。
「マスター」
「はい」
「その、ごめんなさい」
「はい」
「わたし、失敗しました。カッパさんを、幸せにできなかった」
「はい」
「だから、腕を上げようと思って、練習して、練習して。でも、全然わかりません」
「はい」
「マスター、本当にごめんなさい。わたし、ダメな弟子ですよね」
「いいえ」
「マスター、わたし……え?」
 いいえ? いま、いいえって言いました?
 顔を上げる。その瞬間、目の前に差し出されるカクテルグラス。
 透明な色。添えられたオリーブ。マティーニだ。マスターのマティーニ。一体、どんな味がするんだろう。気になる。グラスを掴む、傾ける。飲み込む。味わう。
 ……?
 喉に感じる酒の刺激が、全くない。まるで水のようにさらりと飲み込めて、すっと喉の下を潤していって。口に残る後味は、苦いというより、むしろ逆。とても、甘い。
「マスター、これ」
「『エリクサー』、“命の水”でございます」
 命の水? わけもわからずもう一口。感じる甘み。それだけ。そう、甘みしか感じない。
 もしかして、これ、お酒じゃなくて。
「砂糖水?」
「トニックウォーターにシロップを少々」
「そんな。それはカクテルじゃ」
 待って。違う。もう一度、『エリクサー』を飲む。甘い。とても甘くて、優しくて。何より、乾いていた喉にすっきりと染みこんでいく。確かにこれはカクテルじゃない、でも。
 とても、美味しい。
「バーテンダーというのは、難儀な職業でしてね」
「え?」
「たとえどんな準備をしていようとも、その日、どのようなお客様が来るかは予想がつかない。お客様の嗜好も、その日の体調も、全く分からない状態からカクテルをお作りするのが常です」
 そう。そんなお客様に対応するには、とにかく、腕を上げていかなくちゃいけない。
 けど。目の前の『エリクサー』を見る。これは別に、高度なステアも、シェイクも要求しない。ただの砂糖水。なのに、わたしはこれを美味しいと思った。癒された。それは、何故?
「お客様は、この店をどう思いますか」
「へ? あ、ええと、雰囲気いいし、楽しいし、とても良い店だと思います」
「ありがとうございます。では、そういうお店で飲むお酒は、どう思われますか」
「え、ええっと。それはとても楽しいだろうし、美味しいだろうし……美味しい?」
「ええ。どんなお酒を出したとしても、それが楽しければ、お客様は満足して下さるのです」
「そう……でしょうか。やっぱり、お酒が美味しくないと、楽しめないんじゃ」
「それはそうでしょう。でも、もしバーテンダーが、自分の腕に過剰にすがり、カクテルの本義を見失った一杯を出したとしたら。そんなお酒を、お客様は喜んでくださるでしょうか」
「カクテルの、本義……」
 じっと見つめても、マスターは何も言ってくれない。多分、自分で考えろ、ってこと。
 マスターの顔、店内の様子、そして、『エリクサー』を順繰りに見つめる。このマスターが居るから、安心してお酒を頼める。この店の雰囲気があるから、楽しんでお酒を飲める。そして、この一杯。今のわたしにぴったりの一杯があるから、とても幸せになれる。
 ……ぴったりの、一杯。そうか、それだ!
「そっか、そうなんだ。腕よりまず、その一杯をお客様が求めているか。それを見極めて出す一杯。それが本当のカクテル。ですよね、ですよね!」
「ええ。そして、その一杯を作る力を持つのが、バーテンダー」
 マスターの微笑み。目の前の壁が開けてく。そうか、そうなんだ。バーテンダーって、そいう職業だったんだ。気づかなかった。思いもしなかった。でも、気づいた!
 さっきまでの頭痛は、いつの間にかどこかに飛んでいた。多分、あの『エリクサー』のお陰だろう。ぴったりの一杯。カクテルには、そんな力があるんだ。
 あの時とは違う意味で、膝が震えてきた。バーテンダーって、そんな凄い職なんだ。だから、なりたい。わたし、マスターみたいなバーテンダーになりたい!
 そのためには、しなくちゃいけない事がある。
 ぐっと拳握り、呟く。絶対に、あの人を。
「幸せに、してやるんだから」

 彼は、今日もやってきた。
「いらっしゃいませ。ようこそ『Accueil』へ」
 お辞儀するマスターにひらりと手を振って、カッパさんはカウンター席に座る。一息ついて、顔を上げ。そこに、わたしは立っていた。視線が合った瞬間、にこりと笑う。
「お客様、ご注文は」
「ん……じゃあ、なんでも」
「はい、承りました」
 にこにこ。笑顔のままのわたしに、カッパさんの表情が、少し驚いた風に変わる。そんな彼の前に、氷の入ったタンブラーを差し出す。タンブラーの中には、薄く白に染まった水。
 見慣れないカクテルに、カッパさんは眉をひそめ、わたしを見上げる。
「これは、何?」
「お客様の最も欲しい、カクテルです」
「ふうん……」
 まだ納得いかない顔で、でも、カッパさんはタンブラーの中身を一口飲み。
 ハッ、と目を見開いた。
「如何ですか?」
 問いに答えるかわりに、カッパさんはタンブラーを一気に傾け、中の水を飲み干す。はあ、と息をついてタンブラーを置いたカッパさんの顔には、安堵の色が浮かんでいた。
 グラスの氷を回しながら、カッパさんはわたしを見上げ、ニヤリと笑う。
「これ、水、いや、スポーツドリンクだよね」
「はい。スポーツドリンクに酢を少々」
「なんで、僕がそれを欲しいと思った?」
「お客様の住む沼は、深き山の奥にあります。そこからこの『Accueil』までやってくるのは大変だろうと考えました。それに、お召しになったロングコート。あれを着て長い距離を歩く間に、水分は汗になって飛んでいきます。水が命の河童にとって、それは一大事です」
「なるほど……」
 グラスを持ち上げ、ニコリと笑うカッパさん。その顔は、とても、とっても楽しそうだった。
「たしかにこれは、カクテルですね。正真正銘、本物のカクテルだ」
「ありがとうございます。それで」
 小さくお辞儀して、わたしはそっと、メニューを差し出した。受け取るカッパさんにもう一度礼をして、わたしは微笑む。
「わたしはまだ修行中です。お客様の求める一杯を、まだまだ定められません。ですから、出来れば、メニューを見て、次の一杯をお決め下されば、幸いです」
「未熟を認めるわけか」
「ええ、でも」
 背中、しゃきっと伸ばす。真っ直ぐな目でお客様を見渡し、カッパさんに視線を戻す。
 固める決意。そして、宣言。
「わたしは、この店で、一人前のバーテンダーになってみせます」
「はは。僕に宣言するってことは、見届けろと?」
「ええ、退職までつき合ってもらいますからねえ」
 最後はおどけて、はははと笑って。また、和やかな空気が戻ってくる。
 どんなに悩んでいても、それが店員だとしても、優しく受け入れてくれる。それがこの店、Bacafe『Accueil』。だから、わたしはここで、一人前になりたい。
 メニューを見ていたカッパさんは、一点に目を留め、にや、と笑った。
「じゃあ、マティーニ。あの、とっても美味しいマティーニを」
「かしこまりました」
 なんだ。結局は美味しかったんじゃない。全く、お客様ってばいじわるだ。
 心の中でちらり苦笑しつつ、わたしは今日も、素敵なカクテルを目指すのでした。
                                     おしまい。

この記事へのトラックバックURL:

http://drupal.cre.jp/trackback/588


この記事をブックマーク

人気コンテンツ