まほつく。もどかしさと一杯のカクテル。(前編 試行錯誤その1)
まほつく。もどかしさと一杯のカクテル。
『これは、カクテルじゃないね』
短い一言。だからこそ重い一言。
胸の奥のグラスが、音を立て、割れた。
マティーニのグラスを置く。舌に残る味を確かめる。
おいしい。はず。わたしの口には合ってる。けど、それが他の人に合うかは分からない。じゃあどうすれば。練習するんだ。少しでもマスターに近づいて、お客様を頷かせるんだ。
バーカウンターの奥の棚から、リキュールやスピリットを選びとる。カシス、カンパリ、ジン、ウォッカ。冷蔵庫を開ける、オレンジ、サイダー、カウンターに並べ。練習、続けよう。
お酒を直接タンブラーの中に入れて混ぜる。ビルドなら簡単。簡単だから難しい。
そう思って作ったカシスソーダ、カシスウーロン。どれも上手く出来てる、ような気がする。本当に? わからないから一口飲んで、二口飲んで……一気に飲み干し、次にとりかかる。
カンパリ、グレープフルーツ。トニックウォーター。併せてビルド。カンパリスプモーニの綺麗な桜色に、ほっと息をつく。そう、この色。これこそカクテルの。
『これは、カクテルじゃないね』
……どうなんだろう。そもそも、カクテルって何なんだろうか。わからないから、飲む。
飲み干した瞬間、じわりと広がる頭痛。酔ってるのかな。いやいや、バーテンダーがこれくらいで酔っ払うなんて問題外。そんなにお酒の痺れる感じもしないし。
「大丈夫、だよ」
自分に言い聞かせる台詞が、こんなに虚しいとは思わなかった。なにしてるんだろ。凹む暇があったら、もっと綺麗な、もっと素敵なカクテル、作らないと。よし、次はこれ。
ジントニック、カクテルの定番。定番過ぎて、どう工夫すればいいのかわからなくなる。ブラッディメアリー。大好きなトマトのカクテル。でも、ウォッカの割合が違う気が。
満足できない。納得できない。もっと、もっと上手いカクテルができるはずだ。
次のリキュールを探そうとして、腕に何かが当たった。
瞬間、店内に響き渡るガラスの叫び。
「あ……」
視線を落とす。割れたグラス。照明を乱反射するガラスたちの遺体。その中心に、てらてらと光るオリーブの実が転がっていた。いけない、片付けないと。
手を伸ばす、届かない。なぜ? ガラスのきらめきがやけに眩しい。
目に映る、ガラスの破片。それがだんだん二重になって、三重になって。やば、わたし、酔ってる。気づいたとたん膝が砕けた。尻餅をつく。こらえきれない。倒れる。後頭部に硬い床の感触。痛い、痛い、痛い痛い痛い。何が痛い、心が痛い。悔しい。なんで出来ないんだ。わたしは素敵なカクテル作りたいのに。もっと上手くなって、どんどんお客様を幸せにしたいのに。こんな所で寝てちゃいけないのに。起きて、起きてよわたし。さあ、立ち上がって。立ち上がれない? やだ。やだよ。指先、冷たい。凍る。寒い。寒いよ。目。揺れる。かすむ。
落ちる瞬間、なぜか、甲高い嘲笑が聞こえて。
「い、や……」
否応ない眠り。逆らう力は、もう無かった。
ジャズの音色に、賑やかな声が混ざる。
今日の『Accueil』はいつもよりも一段と多くのお客様で賑わっていた。カウンター席はほとんど埋まっていて、ボックス席でも、魔法学校の教授さんたちが飲み騒いでる。
お店が賑わっている時が、わたしは一番好き。馬鹿笑いしている人、静かに、でも幸せそうに一杯を楽しんでいる人。それを見るのが、バーテンダーやって良かったと思える瞬間だ。
「マスタぁ、お勧めを一杯」
「畏まりました。それでは」
手際よくリキュールとスピリットを揃え、グラスに注ぐマスター。グラスの中、氷とガラスの間でバースプーンが音もなくすべり、二つの違う液体を、一つのカクテルにする。
差し出されたグラス。お客様の笑み。
たった百ミリリットルにも満たない飲み物で、笑顔を作る。やっぱり、マスターって凄い。
「トマトちゃん、ビールちょうだい」
「あ、はーい」
バーテンダー見習いであるわたしは、まだあまりカクテルを作らせてもらえない。いや、作る必要性がない、かな。お客様の前に出す以上、ステアもシェイクも超人級なマスターに任せておけば安全だし。わざわざ、わたしがしゃしゃり出ることはないもん。
常連さんにビールを出して、手元にあった水滴の残るグラスを、乾いた布でキュッキュと拭く。見習いは見習いらしくしないとね。
でも、ちょっとだけ、考えちゃう。
シェイクはともかく、ステアの腕は、それなりに上手くなってきた、と思う。この二ヶ月間、『Accueil』の看板娘としてやってきたんだし、そろそろ、バーテンダーらしくしたい。
それを口に出せないのは、マスターの凄さを目の当たりにしてるからかな。軽やかなダンスを踊るような手先。見てるだけで惚れ惚れするシェイク。だけど、わたしだって、さ……。
カウベルが鳴ったのは、そのとき。
「やあ。カウンター、開いてる?」
そう言ってニヤリと笑ったのは、山高帽を被ってロングコートを身にまとった男性。ハッとするほど整った細面は……どこかで見たような気が。こんな格好良い人と、どこで?
「ヒント出そうか? ワン、ツー、スリー」
掛け声と共に、山高帽がひょいっと持ち上げられる。その下でつるつる光るお皿。
ニヤニヤ笑顔とお皿。見比べてあっと気がついた。
「あ、カッパさん? カッパさんですよね!」
「正解。さすがに本性では来られないからね」
そう言ってカウンター席に座ったのは、山の大沼に住む合羽さん。常連さんだとは聞いていたけど、わたしが店で働き始めてからは初の御来店。他の常連さんも、笑顔で迎える。
「カッパちゃぁん。元気にしてたぁ?」
「お陰様で。霊石の流通ルートがなんとかなって、やっと美味い酒が飲める」
「カッパちゃんといえば、ここの常連で一番のグルメだもんねぇ。さすがカッパ」
「はは。沼のあやかしとしては、水の質には厳しくならざるをえないので。職業病ですよ」
おどけて笑うカッパさんにつられて、周囲から笑みがもれる。店に流れる和やかな空気。これこそ、『Accueil』らしさ。その場にいる者を素直にさせる、不思議な力。
でも、そんな空気の中、わたしはひっそり、早打つ鼓動を感じていた。
グルメ? 水の質に厳しい? つまりは、お酒にもうるさいお客様なわけだ。もしそういうお客様に認められたら、わたしももっと、お客様に色んなカクテルを作らせてもらえるはず。
だから、マスターが注文を聞く前に、ずいと前に進み出る。
「お客様、ご注文は」
「その格好だと、トマトさんも大人の女性って感じだね。うんうん、良いことだ」
「あの、お客様……」
「ああ、注文だっけか。何でもいいよ」
あっさりと。一瞬、台詞の意味を図れずに、すぐハッとした。何でもいい。それはつまり、わたしが一番上手くできるものを飲んでやろうという挑戦。心が震える。よし、やってやる!
棚から出すのはジン、そしてベルモット。それを見たカッパさんが、笑みを深くした。
手の震えを押さえながら、ミキシンググラスに氷を入れる。ジンを静かにゆっくり入れて、更に、ベルモットを加える。バースプーンを差し込み、氷とグラスの隙間を、回す、回す。
息を止めて、バースプーンを抜く。ミキシンググラスにストレーナを被せ、カクテルグラスに透明な中身を注ぎ込む。オリーブの実を添えれば、カクテルの王、マティーニの完成。
作り上げた瞬間、大きく息をつくのを止められなかった。全力は出し切った。いける。
「どうぞ、マティーニです」
「ありがとう」
グラスを持ったカッパさんは、一口、マティーニの水面に口をつける。舌の上でその味を確かめるように目をつむったカッパさんは。
ことり、とグラスを置いた。
「ダメだね」
……え?
にこり。笑う彼。その笑顔が、わたしの全てを否定する。
何か言おうとする。でも言えない。かわりに、手がすべった。
グラスに当たるバースプーン。ひどく耳障りな音が、店内に響き渡った。
店のざわつきが、一瞬にして静まる。集まる視線。今頃、胃に痛みが走った。
膝が震える。喉が引きつる。ダメ? ダメって、ダメなの? わたし、何かミスしてた? ステアはそれなりに出来てたはず。このマティーニは、今まで作った中でも最高の出来だった。
それでも、ダメだったの?
店中の視線が、わたしとカッパさんに注がれている。焦る。つい、口が滑った。
「お客様、その、何処が、お気に召しませんでしたでしょうか」
「知りたい?」
ドキリ。胸が痛む。でも、もう後には引けない。
頷きを返す。薄く笑った彼は、グラスを軽くつついた。
「これは、カクテルじゃないね」
「それは、どういう」
「秘密。君なら、きっと分かるだろうけど」
結局。彼はそれ以上、何も言うことはなかった。
店内にざわめきが戻って来る。再び訪れた平穏。でも。
お客様に背を向け、固く目を閉じる。振り向く力は、なかった。
『これは、カクテルじゃないね』
同じ台詞が、何度も、何度も響きわたる。
足りなかった。技術が、腕前が、足りなかった。
だから、練習しないと。もっと、上手くならないと。
身体が重い。頭が痛い。でも、練習しなきゃ、練習、練習――。
つづく。
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