石田衣良、作『エキサイタブルボーイ』(『池袋ウエストゲートパーク』所収)

『エキサイタブルボーイ』は、石田衣良さんの『池袋ウエストゲートパーク』に採録された4編の作品の内の2編め。『池袋ウエストゲートパーク』は、同名のシリーズの1冊めの作品集だ。
 2000年に放映されたTVドラマ『I.W.G.P. 池袋ウエストゲートパーク』でも、『エキサイタブルボーイ』を原作として、映像作品にアレンジされたドラマが組み込まれていた。

 お化けワゴンの噂を聞いたことがあるだろうか?

 こんなふうに語りだされる断章から、『エキサイタブルボーイ』は始められる。文庫版で1頁強、19行で「お化けワゴン」の話が、今風の怪談話のように語られる。
 石田衣良さんは、長短様々な断章から作品を構成する手法を採る事が多い。
 冒頭の怪談話風の語りの次は、極、短めの断章(文庫版で3行だけ)。

 それはメタリックブラックのホンダオデッセイだという話だ。おれはお化けワゴンを見たことはないが、消えた黒いオデッセイなら一台知ってる。それにあのオデッセイが二度と首都高を走らないだろうってことも。

 物語の語り手キャラは、シリーズの他の作品同様、マコト(真島誠)。
『エキサイタブルボーイ』で語られる物語は、シリーズ第1作の中篇『池袋ウエストゲートパーク』で語られた、ストラングラー事件よりも後。「秋の終わり」頃から語り始められる。
 マコトの元には、既に「時々おかしな依頼が舞い込むように」なっていた。
 相談されるのは、「警察にも話せず金もないガキのトラブルばかり」。マコトは「話を受けることがあった」が、それは「退屈しのぎにはちょうどいい」からだ、と語る。この語りは、照れ隠しのような韜晦かもしれない。
「金も頭もなく、どうしようもないトラブルをかかえて身動きのとれないガキを見てるのに耐えられなかったから。/良心が痛んでというわけじゃない。鏡を見てるみたいでね」
「退屈しのぎにちょうどいい」に続く、上の語りの方が、まだ正直な心情に近い語りのような気がする。韜晦はあるにしろ。

『エキサイタブルボーイ』では、マコトは、ストリート・ギャング、Gボーイズのヘッド(リーダー)、キングこと、タカシ(安藤崇)からの話を受け、羽沢組組長から、行方不明になった組長の娘を探す、との依頼を引き受ける。「羽沢組は池袋に何十あるかわからない暴力団のトップスリーから滑り落ちたことがない」そうだ。関東賛和会羽沢組、と設定されている。
 マコトは、ストラングラー事件に関わったとき、タカシの影響力に頼り、Gボーイズをはじめ、池袋のストリートで過ごしていた様々なチームの力を借りていた。その時の借りと、もう1つの理由から、マコトは、それまではすべて断ってた、ヤクザ絡みの話を受けることにする。

「なあ、マコト。池袋だって平和そうに見えるが、水面下じゃ微妙な力のバランスが動いている。羽沢組の依頼を断ることもできるが、そのときは池袋のGボーイズ全体にマイナスのカードを一枚残すことになる」
「うまく解決すれば、やつらに大きな貸しをつくれるというわけか」
「そうだ」

 要するに、タカシは、羽沢組からGボーイズに持ち込まれた依頼を、Gボーイズと近しい関係にあるけど、フリーであるマコトに振った。
 マコトが、タカシに受けた借りを返すとの意味と別に、話を受けたもう1つの理由は「頭の足りないGボーイズのガキどもを考え」てのことだろう。「鏡を見てるみたい」に思えたのかもしれない。

 マコトが話を受けた時点で、タカシとGボーイズは、羽沢組とマコトとの仲介者、って立場になる。マコトもこの事は、羽沢組組長の依頼を引き受けてしまった、後に、気づいたようだ。
 このように、『エキサイタブルボーイ』では、シリーズを通して、池袋のストリートでのマコトの立場の基本線が打ち出される。この基本線は、作品ごとにブレを示しながら、その後も続いているように思える。
 シリーズを通したマコトの役どころは、「時に、ボランティアの自警団員(Vigilante)的な役を買って出ることもある、フリーのトラブル・シューター」と要約できるものなんだけど。
 そんな役割を、ほとんどロハで買って出る、マコトの動機のようなものも、かなりの部分が『エキサイタブルボーイ』で描写されてる、ように思える。

 後、『エキサイタブルボーイ』では、シリーズを通じて重みを持つ、羽沢組組員の斉藤富士夫も登場する。
 富士夫は、マコトの中2のクラスの同級生だった。親しい間柄の内輪では「サル」と呼ばれていた。
 サルは、羽沢組若頭の下についている。それで、組長の依頼を受けたマコトの助手件、お目付け役って感じで、マコトと行動を共にする。
 マコトに言わせれば、中2の頃のサルは「小柄で暗い顔」「存在感の薄さ。不思議になんの印象も残ってないやつ」で、「もう五年以上たつが、その夜会うまでは思い出したことなど一度も無い」。中2の頃のマコトとサルはそんな間柄だった。
 もう1人、やはりマコトの中学時代の同級生だった、森永和範も登場。
 和範は、シリーズを通じての存在感は、富士夫には及ばない。けれど、『エキサイタブルボーイ』では、重要なキャラのはずだ。

〔前略〕和範の話をするとサルがいった。
「おれにはそいつの気持ちがわかるような気がする」
「なんで?」
「おれ、中二のとき登校拒否になったろ。学校にいかなくちゃと思うと朝うちの玄関のドアを開けられなかった。夕方、おふくろが帰ってくるまで玄関で立ってたことあるよ」
「そうか」
「おまえにはわかんないよ。〔後略〕」

 中2の時にイヂメの標的になったサルは、登校拒否になったけど、中学を卒業してから、ぶらぶらしてた時期に羽沢組に加わった。物語では、細かなことは端折られてるけど、普通に考えて、最初は準構成員だっただろう。『エキサイタブルボーイ』で、マコトと5年ぶりくらいに会った時は、立派な若衆(組員)。
 サルは、和範の事は知らない、と言っていた。和範は、マコトの中3のクラスの同級生だったからだ。

「おれにはそいつの気持ちがわかるような気がする」ではじまるやりとりは、こういう会話だ。
 和範は、中3の時、マコトのクラスの学級委員で優等生だった。私立の進学校に進んだ後、高校を中退して、自室に引き篭もっている。この話は、マコトも和範の母親から聞いた。
「和範の話をするとサルがいった」で、マコトがサルに話したのは、中学卒業後の和範について、の伝聞であるはずだ。

 メイン・プロットで語られるストーリー中心に見れば、和範は脇役の1人だ。組長の娘の行方の手がかりを、マコトに教える役回りだけど。脇役は脇役。
 マコトと、サルと和範、中学を卒業してから4年弱の間にいろいろなことがあって、それでもサルは「そいつの気持ちがわかるような気がする」と言い、マコトに「おまえにはわかんないよ」と言う。
『エキサイタブルボーイ』の和範は、そうした重要さを担っているキャラだ。

 そして、組長の娘の行方が知れてからの羽沢組とサルの行動を、マコトは黙認する。この前後とマコトの黙認の仕方も、作品の読みどころの1つ。

 題名の「エキサイタブルボーイ」、「エキサイトすることができる少年」が、何を示唆してるかは、かなりネタバレをした説明をしないと、うまく整理できそうに無い。
 アタシとしては、「ボーイ」と単数形で記されてはいても、マコトやサル、だれか特定の個人を指している「だけでもない」ように思える、と書いておきます。

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『エキサイタブルボーイ』で語られる出来事は、「秋の終わり」頃からのもの。マコトの家である池袋西一番街の果物屋で売られるミカンが、「水っぽいだけで甘くない」そんな時期だ。
 作品の最後の断章は「その冬初めての寒波がきたのは数日後」と語り始められている。

『エキサイタブルボーイ』だけを読むなら、「語り手の今」は、「その冬初めての寒波がきたのは数日後」からしばらくしての「いつか」と思うのが、素直な読み方のような気はする。

 ただ、作品集『池袋ウエストゲートパーク』を通して読むと、「語り手の今」は、もっと後、翌年の「いつか」のように思える。
 けれど、『エキサイタブルボーイ』の話から、内容を読み解くについては、「語り手の今」は、早い時期と遅い時期、どちらの想定でも、あまり物語の味わいを左右しないような気はする。
 あるいは、「語り手の今と、語れている時制の時間差」よりも「語られた時期と、重要キャラクターたちの過去との時間差」の方が重要な、そんな作品なのかもしれない。

『エキサイタブルボーイ』の「語り手の今」は、「その冬初めての寒波がきたのは数日後」よりも後の、不定の「いつか」で、構わないと思う。ただ、それは中篇『池袋ウエストゲートパーク』が語られた「今」よりは、後ではあるはずだ。

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書誌情報:
石田 衣良,『池袋ウエストゲートパーク』,文芸春秋,Tokyo,1998.
ISBN 4-16-317990-9

石田 衣良,『池袋ウエストゲートパーク』(文春文庫),文芸春秋,Tokyo,2001.
ISBN 4-16-717403-0

備考:
語り手の「今」=それは中篇[『池袋ウエストゲートパーク』が語られた「今」よりは、後であるだろう。
中篇『池袋ウエストゲートパーク』の最後の断章には、次のようにある。
「ちょっとしたトラブルがあって、今回の礼に〔Gボーイズを〕手伝ったことがあるが、それはまた長くなるから、次の機会にでも話すよ」
この「手伝ったことがある」話が語られた「次の機会」が、『エキサイタブルボーイ』とみなすのが、素直な読みかただろう。
ちなみに、中篇『池袋ウエストゲートパーク』の方の「語り手の今」は、中篇で語られる出来事と、『エキサイタブルボーイ』で語られた出来事とが起きた年の「翌年」であると思える。

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