石田衣良、作『オアシスの恋人』(『池袋ウエストゲートパーク』所収)
『オアシスの恋人』は、石田衣良さんの作品集『池袋ウエストゲートパーク』に採録された作品4編の内の3作め。『池袋ウエストゲートパーク』は、同名のシリーズの1冊めの作品集だ。
2000年に放映されたTVドラマ『I.W.G.P. 池袋ウエストゲートパーク』では、『オアシスの恋人』を原作にした軽妙な感じのドラマが、1回分の放映エピソードにあてられていた。
もちろん、TVドラマと小説版とは別の作品。ここでは、小説版を未読の人を想定して、読みどころを紹介したい。不必要なネタバレは避けながら。
『オアシスの恋人』の物語は、長野で冬季オリンピックをやってた頃から始まる。
主人公で語り手のマコト(真島誠)が、家の果物店で店番をやってたある日の夕方、中学時代の同級生、千秋が店先に寄る。千秋はヘルス嬢なので、出勤の途中に寄ったみたいだ。
「お願い、助けてほしいの。人の命がかかってる。明日、昼過ぎならいつでもいいからお店にきて、『オアシス』って店、知ってるよね? 私を指名してちょうだい、絶対」
こんなふうに「早口で囁いた」千秋は、「イチゴをツーパックとかぶせるようにおおきな声で注文する」と、「明日のお店の分」と、ピン札を3枚マコトに渡して、去って行く。
マコトは、千秋の振る舞いを「謎の(元)同級生」と言うけど。物語が進むと、マコトの店に寄った時の千秋が、人目を警戒しながら怯えてたんだろうなって、わかってくる。
『オアシスの恋人』の語り口は、単行本『池袋ウエストゲートパーク』に採録された作品の内でも、かなりおもしろい方。だけど、はしょって、マコトが事件に関わり出すまでの状況設定を、要約説明しちゃおう。
本番ありのヘルス「オアシス」に勤務してる千秋は、「去年の十二月の始めころ」、客として店に来た男から、知らない内にスピード(覚醒剤、メタンフェタミンのストリート名)を施された。粘膜塗布されたんで、気づかなかったのだ。
男は、ヘビーEってニック・ネームで知られる薬物の売人で。その頃、池袋に現れて、仕事を始めてた。
物語の頃の千秋は、極端な重症という感じでもないけど、定期的にスピードを買う程度には依存症になっていた。
それを知って怒った千秋の恋人は、ヘビーEを尾行。関係する暴力団員との取引現場で、多量の薬物に火をつけて逃げた。
千秋がマコトの店に寄った時には、薬の売人も、暴力団も、血眼で、千秋の恋人を追っていた。
だから、「助けてあげて。お願い」と千秋は、翌日「オアシス」に客を装って出向いたマコトに頼む。
「マコトちゃんて池袋の裏に詳しくて、トラブルシューターやってるって評判」だからだ。
マコトは「おれは別にプロじゃない」と応える。
「警察にいって保護してもらったらどうだ」と言うマコトに、千秋は「だめよ、彼は不法滞在者だから、そんなことしたら強制送還されちゃう」と言う。
「でも命は助かるだろ」
「そうだけど、そしたらもう会えなくなっちゃうよ」
千秋は、出稼ぎで池袋に来ていたイラン人、カシーフとの付き合いをマコトに話し始める。
「〔前略〕それで、デートすることになって。私が仕事の話をしたら、ショックを受けたみたいだけど、なんとか理解するようにがんばるっていってくれて」
「いいやつだったんだ」
「うん。私がつきあった人で、私から金を引っ張ろうとしなかったのは、カシーフが初めてだよ」
刺すような目で千秋はおれを見る。男性全体の罪のために謝ったほうがいいんだろうか。ビデオカメラより冷たい視線。
「で、今カシーフはどうしてるんだ」
「マコトちゃん、やってくれるの」
「まだ、わかんないよ。でもちょっと調べてみる」
「ありがとう、やっぱりマコトちゃんていいやつだ」
上の千秋とマコトのやりとりは、作品序盤の、とてもおもしろい箇所の一つだ。
石田衣良さんの作品、特に会話は、よく、軽快とか、スピード感があるとか、キレがいいとか言われる。
実際そうなんだ。そこも石田作品の面白みだし、アタシ(紹介者)も好き。
けど、スピード感に任せて読むだけだと、例えば上に引いた箇所の内容とか見落とされがち。
軽妙に編まれた物語を、あえて解いて、鈍重な感じに編みなおして見せるのは、紹介者のセンスだから。そこはごめん。
マコトや千秋が通ってた中学では、千秋が1回5千円でウリ(売春)をやってたって噂が流れてた。
マコトは、「おれは本当かどうかは知らない」って回想する。ただ、中学時代のマコトも、噂が流れてたことは知ってた。
例えば、マコトが思う「男性全体の罪」の内には、本当かどうかはわからない噂を流してた男性の罪も入ってただろう。
つまり、マコトはそんなふうに考えるだろう、ってこと。だってマコトは「本当かどうかは知らない」んだから。
もちろん、当時噂を流してたのは、男だけではないだろうし。マコトが物語を語ってる時、どの程度の強さで、昔の噂が関わる記憶を意識してたかも定かでない。
ただ、会話や、マコトが意識した“男性全体の罪”の奥の方には、薄っすらとでも、中学時代の噂にまつわる記憶も流れてたはずだ。
少なくとも、千秋の方が忘れてるなんてことはあり得ない。マコトだって、そんな記憶もあるから「男性全体の罪のために謝ったほうがいいんだろうか」って考えた。
これが「ありがとう、やっぱりマコトちゃんていいやつだ」の「やっぱり」の含みを読み解く、最も近い解釈だ。
「近い解釈」って、ここで書いてるのは、物語の解釈の材料に、読者の実体験や知識を持ち込むよりも「前に」同じ作品内から手がかりを探すことを指している。例えば、同じ作品集から手がかり探せば、「少し遠い解釈」になるかもしれない(作品集の編成意図による)。同じシリーズ、同じ作家の作品と、手がかりを探していくに連れ、解釈は「遠く」なっていく。
(「遠い解釈」の方が間違ってるとは限らない。ただ、遠距離の解釈が的を射るためには、解釈者の方に、より強い思考力が必要になる、とは言える)
中学時代の千秋の噂のことは、カシーフを追ってる売人や暴力団の事を「ちょっと調べる」ため、マコトがやはり中学の同級生のサル(斉藤富士夫)に携帯をかけた時に話題に上る。
サルは、今は暴力団員だけど、カシーフを追ってる組織とは別組織に属してた。
携帯での会話では、サルが「五千円」の噂を口にすると、マコトは「話を代えた」。多分、噂のことを「本当かどうか知らない」からだ。
(ちなみに「近い解釈」が、いつも正しいとも限らない。シリーズを読み進む内に「より正しい解釈」が浮かび上がってくることは、決して珍しくは無いから)
こんなふうに、『オアシスの恋人』では、主役で語り手のマコトのキャラクター性が、中篇『池袋ウエストゲートパーク』や『エキサイタブルボーイ』よりも細かく描写されてく。
例えば、マコトの母親や、マコトの家、普段の生活の描写が、細かめのもの幾つかに分割されて、複数の断章に散りばめられてる。
(長短様々の断章を構成して物語を編むのは、小説家、石田衣良の基本的なスタイルだ)
あるいは、「おれは別にプロじゃない」と言うマコトが、作中で「あきれたボーイズ」と呼ぶ仲間を、トラブル・シューティングのため、はじめて編成するのも『オアシスの恋人』での事。
『エキサイタブルボーイ』では、マコトはサル(斉藤富士夫)を助手にしながら、池袋のストリート・ギャング、Gボーイズのメンバーたちの力を借りて動いた。もう一人の元同級生、和範に有力情報を教えてもらえたのは、半ば以上偶然だ。
第1編『池袋ウエストゲートパーク』では、元々のマコトのチーム・メンバーが事件に巻き込まれて、マコトは、タカシ(安藤崇)を通じて、Gボーイズ他、池袋のチーム多数の力を借りることにした。
マコトが、自分の交友関係から選んだ面子に声をかけて、臨時のチームを編成するのは、『オアシスの恋人』が最初になる。
マコト本人も「少年探偵団」って、半分冗談めかして説明する「あきれたボーイズ」の行動は、探偵ごっこのようなノリ。軽妙で楽しい。
中篇『オアシスの恋人』は、作品集『池袋ウェストゲートパーク』の内で、一番、軽妙なノリで。楽しく読める。アタシ(紹介者)も好き。
それに、軽妙なだけでなくて、作品集の内容の総体を読み解いていくにも、キーになる中篇だ。軽妙だから、目立たないけど、キーになってる。
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書誌情報:
石田 衣良,『池袋ウエストゲートパーク』,文芸春秋,Tokyo,1998.
ISBN 4-16-317990-9
石田 衣良,『池袋ウエストゲートパーク』(文春文庫),文芸春秋,Tokyo,2001.
ISBN 4-16-717403-0
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