石田衣良、作、『少年計数機』の中篇

少年計数機』は、石田衣良さんの「池袋ウエストゲートパーク」連作の1編。
 2冊目の作品集『少年計数機』の表題作で、収録作4作の内、2番めに収められてる。
 2000年に放映されたTVドラマ『I.W.G.P. 池袋ウエストゲートパーク』では、『少年計数器』を原作にしたドラマが、1回分の放映エピソードのメイン・プロットとして編まれてた。

 もちろん、TVドラマと小説版とは別の作品。
 ここでは、小説版未読の人を想定して、不必要なネタバレは避けながら、読みどころを紹介してみたい。

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「西口公園の円形広場にそのガキの姿があらわれたのは、その冬最初の寒波がやってきたころだった」

 身長は百四十センチもないちび。やせているので体重だって三十キロくらいだろう。ほんとうならどこかの小学校で分数の計算でも習っているはずなのに、昼間から円形広場のベンチにひとりで座っている。いいや、「座っている」というのは正確じゃない。やつは太いステンレスパイプのベンチで、またがったり、のったり、もたれたり、寝そべったり、したをくぐったりする。要はひとときもじっとしていられないのだ。そうして絶えず落ち着きなく動きまわりながら、両手にもった計数器で冬の公園で目につくものを、やたらカチカチとかぞえている。
 うちの店から歩いて数分、ウエストゲートパークは自分の部屋の広いバルコニーみたいなものだから、おれはなんとなくそのガキを毎日観察することになった。だいたい、ちょっと変わった人間が気になるたちなのだ(おれ自身があきれるほど健康だからかもしれない)。

 中篇作品『少年計数機』は、主人公で語り手キャラのマコト(真島誠)と、LD(ラーニング・ディスアビリティ)の少年ヒロキとの友情を描いた物語だ。ストーリー的には、ヒロキが巻き込まれるトラブルを、彼の母親に依頼されたマコトが解決する、ってお話も盛り込まれてる。

「ある午後、やつのいるベンチの隣に座ったことがある。やつはその場から見えるすべての人間を、右手で男、左手で女に分けて、カチカチとかぞえまくっていた。凍える池袋の街を、当然やつには無関心に早足で通りすぎるすべての都会人。猛烈な勢いで計数器のボタンを押しているやつの横顔を、おれはそっと盗み見た」〔後略〕。

 ひと重のちょっと吊ったおおきな目、丸くて小さな鼻、厚い花びらのような唇。やつは超然と笑っていた。誰かとつながったり、誰かに笑いかける笑顔じゃない。自分が世界とは関係ないということを証明する笑いだ。この世界や人間たちになにが起きても、自分の笑顔ひとつ傷つけることはできない。そう宣言しているようだ。誰も足を踏み入れることのない森の湖の冬空を一段と濃い青に映す水面のような澄んだ笑顔だった。
 その笑顔を見て、ぐらりとおれのなかでなにかが動いた。十歳でそんな笑いかたを身につけるガキ。そんなやつを放ってはおけないだろ。それでおれは自分から、やつのトラブルにまきこまれていったのだ。
 ミス1。

『少年計数機』では、ヒロキが西口公園に姿を現わすようになった11月から、翌年の1月にかけての出来事が、物語内で「語られた今」の時制で語られている。
 物語の先の方で、マコトはヒロキを救うため、Gボーイズの力を借りるべく、タカシ(安藤崇)に頼みごとをする。
「マコトからの頼み事なんて、去年の夏以来だな」。
 タカシが言う去年の夏の頼み事は、定かではないけど、『サンシャイン通り内戦』のギャング・ウォーズの時に、加奈(松井加奈)の取材を頼み込んだり、いろいろした事、と読むのが素直な読みだろう。
 ギャング・ウォーズの時にマコトが加奈から紹介されて、ギャング・ウォーズの後に始めたストリート雑誌のコラム書きも続いてるって言及があって。これは、まあ傍証と言えば言える。

「ああ、マコトか。今月号のコラム読んだぞ。おまえは汚いものを美しく書きすぎる癖があるな」
 どうでもいいけれどといいたげなクールな声。
「タカシのこともな」
 やつは鼻で笑った。サンシャイン通り内戦を書いたコラムで、池袋ではタカシの人気はカリスマ的になっていた。女性ファン急増。まあ美容師なんかと違ってやつは元々カリスマなんだが。おれはいった。
「頼みがある。すぐに会えないか」
〔中略〕
「なんかあると、マコトはいつも顔だしてるな」
 トラブルがおれを呼ぶのだといった。二十分後、ウエストゲートパークで待ち合わせを約束して、PHSを切った。なにげなく足下を見る。サンシャイン通り六十階通りの敷石にはチューインガムが無数に落ちて、灰色の水玉になっている。大勢の人間に踏みならされて、あとでついたというより、最初から計算されてプリントされた模様のようだった。通行人は誰も気にしていない。これはこれでけっこうきれいだった。
 汚いものを美しく書きすぎる癖か。いいんだ、どうせおれは甘いのだ。

「汚いものを美しく書きすぎる」のがマコトの癖だそうだけど。作者、石田衣良にも同じような傾向はある。(石田さんが「甘い」かどうかは知らない)
 石田作品には、良くも悪くも「美しく書きすぎ」が目立つ事もあると思う。もちろん、キャリアを積まれるにつれ、作品に悪く影響を与えるケースは目立たなくなってるように思える。けれど、これは石田衣良の作家論の話題になってしまう。
『少年計数機』では、「美しく書きすぎ」る傾向が、作品にいい効果を招いてると思う。
 例えば「誰も足を踏みいれることのない森の湖の冬空を一段と濃い青に映す水面のような澄んだ笑顔」とかね。
 こういう息の長い文飾を陳腐と思う人もいるかもしれない。一応、その辺の趣味は人それぞれだけど、例えばここは、直後に続く「その笑顔を見て、ぐらりとおれのなかでなにかが動いた」との段差を読むところだろう。

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 マコトは11月にウエストゲートパークにやって来るようになったヒロキをはじめは「観察」してた。
 その振る舞いは、上辺は「当然やつには無関心に早足で通りすぎるすべての都会人」たちと変わらないふうに見えただろう。
 12月に入って、みぞれ混じりの雨が降った午後、公園の人間が「みな屋根のある場所に吸い寄せられていった」後、ヒロキは「ひとりやけになったようなスピードで、ベンチに座ったまま計数機を叩いている」、「雨粒が落ちるまえに、すべてをかぞえきろうとでもしているみたいだ」。
 マコトがヒロキに傘をやった事がきっかけになって、歳の離れた2人は友達づきあいをはじめることになる。

〔前略〕やつは自分が人間じゃないといっていた。自分はただの計数器で、人間なんかじゃない。そんなに不正確で、信用ならないアナログ的存在じゃない。
 ウエストゲートパークでおれがやつに最初に会った日、やつはこのおかしな世界に生まれて三千八百六十九日目だったそうだ。おれはその月にはいってから出会ったニ十ニ人目の人間だともいった。
 不正確でアナログな人間もたいへんだが、ただの計数機として生きるのも楽じゃない。

 上の引用は、作品のプロローグに相当するパート。語り手のマコトが「語り手の今」の時点から回想しているようなパートから引いた。物語のプロットの順序は前後させてます。

 みぞれ雨が降った日の翌日、広場にやって来たヒロキは、マコトに「昨日は傘をおごってもらった。だから、今日マコトはぼくにおごられなくちゃいけないよ」と言う。ヒロキは財布を引っ張り出し「コインポケットをいっぱいに開いて見せる」。
「端がほつれたナイロンの財布は真新しい五百円玉でぱんぱんだった。おれはちょっと驚いた顔をしたらしい」。
 物語の先の方で、ヒロキの母親に「ときどきでいいからヒロキの様子を気にかけてあげてほしい」と頼まれた時、マコトは「別に金などもらわなくても、そうするつもりだったのだ。だって、誰にでもすぐ財布の中身を見せるようなガキを池袋に放り出しておけないだろ」と思う。

 マコトがヒロキにおごられるプロントでは、2人は結構うちとける。友情の始まりだ。

「ねえ、やっぱりマコトもLDなの」
 カフェオレとココア味のカップケーキをはさんで、ヒロキはそういった。口元には例の超然とした笑。LDはラーニング・ディスアビリティ。知能には遅滞がみられないのに、特定あるいはすべての科目で学習障害があらわれる状態だ。学校ではお手あげ。原因はわからない。ヒロキは自分と同じように昼間から公園でぶらぶらしているので、おれもLDだと思ったらしい。
「そうかもしんない。成績悪かったから。でも、おれが学校いってるころ、まだLDってなかったんだ」
 びっくりした顔をする。ヒロキはなぜか椅子の上で正座した。
「そうなんだ。うちのクラスには五人もいるのに。昔はいなかったんだ」
 たぶん、昔だってたくさんいたのだろうとおれは思う。ただ、そういう子どもを切り捨てて忘れていただけだ。今はいろいろな子どもを分類していれておける便利なファイルの数が増えたのだろう。
「なあ、なんでヒロキはいつも数数えてんの」
 超然とした笑いに得意な表情がプラスされた。カチカチ。
「それはね、数がほんとうで、残りのものはみんな見せかけだから」
「そんなもんかな」
「そう、なにもなくても生きてられる人もいれば、生きていくのに数が必要な人もいる。世界を知るには数を数えなくちゃいけないんだ。この店のメニューは全部でニ十六品目、全部頼むと七千八百六十円。さっきマコトは公園をでるまでに、ぼくより二百三十歩すくなくて済んでる。あの歩きかた、教えてほしいな」

「それからおれたちは三十分ほどあれこれと話をした」。

「なにか、数を覚えるこつでもあるのか」
 超然とした笑いではなく、得意満面の子どもらしい笑顔になった。なにが子どもらしいかなんて、おれにはわからないけどな。
「マコトはいい人だから、特別に教えてあげる」

 小説版「池袋ウエストゲートパーク」のシリーズを、第1作から順番に読んでくると、マコトが別のキャラに面と向かって「いいやつ」「いい人」と言われる描写は、多分、これで3度目になると思う。

オアシスの恋人』でヘルス嬢の千秋が言って、『サンシャイン通り内戦』で加奈が言った。
 ヒロキがマコトのことを「いい人」といった気持ちはわかる。わかるけれど、その理由を過不足なく名付けるのは難しい。
 ただ、こんな事は言えるのじゃぁないかしら。
 マコトはヒロキの事を放っておけないと、言わばボランティアで保護者のような立場を買って出たんだけど。それは単に、マコトの方が年長で、池袋のストリートに慣れてるから、マコトの言動はそんなふうに思える。
 マコトとヒロキのやりとりは、歳の離れた友人のそれで、立場は対等に思える。「タメ口」って言うのが今ふうな言い方かどうか、アタシにはわかんないけど。
 何かあればマコトはヒロキの保護者として振舞うだろうことは、ヒロキにもわかってると思う(悪いけど、なんで紹介者がそう思ったかは、引用しきれない部分も読んで、としておきます)。でも、付き合い方は対等(タメ)。

 これが、ヒロキがマコトのことを「いい人」と言う気持ちの重心あたりを占める事柄なのか、端っこの方の事柄なのかは、判断保留にしておきたい。けれど、アタシ(紹介者)としては、ヒロキの気持ちに含まれてはいる事柄と思う。
 同じような、タメの付き合いは、マコトとあきれたボーイズの間でも見られる。
 ただ、『少年計数機』のヒロキの場合、マコトが「たいせつにしなければならない」と思う、ヒロキの計数の痛々しさが、際立っていると思う。

 この言い方は誤解を招くかもしれない。
 マコトはヒロキの計数を「痛々しい」とは言わない。「痛々しい」は、アタシの印象だ。
「不正確でアナログな人間もたいへんだが、ただの計数機として生きるのも楽じゃない」。例えば、マコトの受け止めはこんなふうだ。
 アタシも、こういうところがいい、と思う。

 一番近くの店にしてよかった。なにせ、ヒロキはあわない靴をはいたカタツムリくらいの速さ、よっぽど、肩に抱えて走ろうかと思ったが、やつの表情には手をだすのをためらわせるものがあった。どこかの小説家が「魂のことをする場所」なんていっていたが、ヒロキの歩きかたや数をかぞえるときの真剣さには、心の深いところから湧き出てくる透明な自発性がある。それは相手がいくつだろうと大切にしなければならないものだ。

 上の引用は、マコトがヒロキにおごられるため、ウエストゲートパークから五メートルくらいしか離れてないプロントに向かう時の描写。ヒロキは、舗装の敷石のつなぎ目を絶対に踏まないようにして歩き、横断歩道の白線を計数しながら歩く。

 先の話になるけど、タカシ(安藤崇)は、「甘いのがマコトのいいとこだ」って言う(『水の中の目』,『少年計数器』所収)。
 でも、別にマコトは、誰にでも「いいやつ」であるわけじゃぁないんだよね。当たり前。
 多分、「真剣さ」と「自発性」がマコトにとってのキーワードなのじゃぁないかしら。

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『少年計数機』の初出は、「オール讀物」1999年12月号、とのこと。

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書誌情報:
石田 衣良,『少年計数機』(池袋ウエストゲートパーク),文芸春秋,Tokyo,2000.
ISBN 4-16-319280-8

石田 衣良,『少年計数機 池袋ウエストゲートパークII』(文春文庫),文芸春秋,Tokyo,2002.
ISBN 4-16-717406-5

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りゅうちゃんミストラル から 水, 2009-12-02 18:31 受信

石田衣良の「少年計数機」を読んだ。(一部ネタばれあり)     この短編集は「池袋ウエストゲートパーク」の続編。池袋駅前で果物屋をしているマコトが、さまざまなトラブルを...


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