俵藤太伝説誕生の裏に子孫あり――『伝説の将軍藤原秀郷』

近江の国は三上山での大ムカデ退治で有名な俵藤太(田原藤田)は、藤原秀郷の別名であるといわれています。しかし、伝説の将軍藤原秀郷という本を読みますと、史実としては近江国に関った形跡はないのだそうです。

下野に根を張り、平将門の乱を収めた功績を高く評価された藤原秀郷。しかし彼はまた、押領使として納税のために働くはずが、実質的には盗賊も含めた親玉でした。書類上は配流に処されたり、周辺各国から討伐のために軍勢が集められたりした、平将門同様の存在だったといいます。ヤクザの親玉に徴税や現金輸送の保護を頼むようなものだったわけですね。

伝説の将軍藤原秀郷では、そのような藤原秀郷の事跡を史料に基づきまとめるだけでなく、彼のような軍事勢力がいかにして関東に定着し、各地で勢力を伸ばしていったのかを、秀郷以前の時代から鎌倉時代までの彼の子孫の経歴を追いつつ、掘り下げてあります。

そうして検討された子孫の活動には、俵藤太伝説を産み出した原因となった可能性のある事跡がちらほらと存在するとのこと。子孫が金を献納して得た鐘が、竜宮から持ち帰ったものだとの遡った由来伝承になるなど、伝説の誕生のプロセスを垣間見ることもできます。

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