『イタリア軍入門 1939~1945』吉川和篤/山野治夫 負け続けだけど、がんばってないわけじゃないぞ

■本日の読書:『イタリア軍入門 1939~1945』吉川和篤山野治夫

 1939~1945というのは年号であり、これは第二次世界大戦のはじまり(ドイツのポーランド侵攻)からおしまい(ドイツと日本の降伏)までである。

 日独伊三国同盟という言葉が中学校の歴史の教科書にも登場するほどに一般的であるように、第二次世界大戦における枢軸国側を代表するのがこの三カ国である。もちろん東欧のハンガリーとかルーマニアとかスロヴァキアなども枢軸側であったのだが、主体となるのは日本とドイツとイタリアだ。

 が、このイタリア、ミリタリーファンの間でもあまり評判はよろしくない。
 弱いから、というだけではない。ポーランドやフランス、ギリシアなど、戦争がはじまってからすぐに負けた国は多い。

 イタリアに人気がないのは、そこにやる気が感じられないのだ。真面目に戦争をしようという気概がなさげなのである。

 そりゃ戦争の準備があまり整っていなかったのは事実だ。
 武器も弾薬も燃料も、いろいろと足りていなかった。
 親分のムッソリーニが勝手にはじめた戦争ということで、国家と軍の意識が高まっていなかった点もあるだろう。

 しかし、国家の浮沈をかけた大戦争である。負ければ国が滅ぶかもしれないのだ。もうちょい真面目にやっても悪くはなかろうという気はしないでもない。

 だが、その「国家」というレベルで、イタリア人は自分たちをひとまとめにする意識がファシズムをのぞけば乏しかったのかもしれない。

 日本も、イタリアも、ドイツも。

 わずか100年ほど前に、いくつもの地方自治体が集合してようやく統一国家になったばかりの新興国家である。日本は別としても、千年もの間、都市国家や地域単位の小王国であったドイツやイタリアの人々にとって、自分たちが「同じ民族」という意識を高めるために何か特別な政治的、思想的な仕掛けが必要であったとしておかしくはない。

 ファシズムの流れは、決して悪意から生まれるのではない。

「仲間意識を高めて、一緒にがんばろう」

 そして世の中を良くしよう、みんな仲良くしようという意識が、ファシズムを生んだのではないか。少なくともそれを支持した人々の心の中では。
 それが外部への排他につながったことは確かに良くないし、結果的には致命傷であったが。思想そのものを産んだ土壌は悪意ではなく善意だと思う。

 それはつまり、今の我々だって。
 善意ゆえに、同じ過ちを繰り返すことも考えられるのだ。

 えー、話がずれたので『イタリア軍入門』に戻ると、歴史や戦史については入門書らしくざっと概略だけ記されている。が、ばらばらな資料に散在している兵器などがきちんとまとめられており、さらには当時の写真付きで軍装や兵士の生活なども紹介されている。

 「イタリア軍って、あの弱っちい軍隊だろ?」と切って捨てる前に。

 本書から彼らなりの努力や熱意を感じることができれば、見方も変わってくるのではないかと思う。

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