『歴史群像 No.83』本土爆撃の戦略面での分析と、知られざる米英戦争、そして九七式戦車の先進性と悲劇

■本日の読書:『歴史群像 No.83』

 南北戦争の「新兵器」というフォトギャラリーが面白い。南北戦争で登場した、貨車に大砲を乗せた列車砲は有名。
 今回イチ押しは、電信通信のために電池を運搬する馬車から電線がのびている写真。メカ好きが高じるとこういうのが面白くなってきて困る。

再検証 本土爆撃佐藤俊之
 B-29による本土爆撃を中心に、日本の戦争遂行能力に与えた影響についてまとめた記事。
 結論から言うと、本土爆撃はきわめて有効な戦略であったが、日本の継戦能力を奪ったのは潜水艦などの通商破壊や、南方での消耗とミックスしての話なので、B-29だけが日本を敗北に追い込んだのではないというもの。

 戦争中においてはまったくもって佐藤俊之さんに同意であるが、戦後の日本に与えた影響という点では、B-29と本土爆撃は他を圧しているようにも思う。
 当時の民衆にとって、本土を守ることができなかった軍隊への不信や不満はきわめて大きかったろう。
 また空を悠然と飛んで町を焼き尽くし、圧倒的なまでの格の差を見せつけたアメリカへの畏怖や絶対的な強者という意識も、戦後政治を大きく左右しているはずだ。

 もしもB-29がなければ。
 あるいは、日本中の都市を焼き、広島と長崎へ落とした原爆というものがなければ。
 たとえ戦争終結までの流れに差がなくとも。
 日本の戦後史は、大きく様変わりしたのではないかと思うのである。

 ただ……良いか悪いかについては……どうも、悪い例しか想像できないのだ。

米英戦争1812(荒川佳夫
 1812年――というと、ナポレオンモスクワ遠征であり、ボロディノの戦いなどのウォーゲームで私の視線はおおむねロシアにある。
 が、実ははるか大西洋をこえてアメリカでは、アメリカとイギリスがケンカしていたりしたのがこの年なのだ。

 カナダをめぐるアメリカとイギリスの戦いの流れや、それがインディアン(ネイティブアメリカン)などを巻き込み後の西部開拓時代を招来した点、五大湖における水上の戦いなどあれこれ興味深い情報が満載。

 何より、今の視点ではけっこう謎な、「なぜカナダは合衆国にならなかったのか」というあたりが読み取れて面白い。

九七式中戦車大研究田村尚也
 九七式戦車は、決してダメな子ではない! ――というのは、田村尚也さんが『MC☆あくしず』4号の『萌えよ! 戦車学校』でも書かれていたが、あちらがマレー電撃戦(エポックのウォーゲームが秀逸)という戦場での活躍(ソフト)であったのに対し、こちらは兵器としての進化(ハード)から見た記事。

 確かに中国戦線で戦っていた戦車兵のインタビューによると九七式戦車が評価されている。歩兵(支援)戦車としては悪い戦車ではないのだ。
 M4シャーマンや、末期になるとT-34と戦わされたという理由でダメ戦車の烙印が押されているが、それはイラクでM1エイブラムス相手にボコボコにされたという理由でT-54/55がヘッポコ呼ばわりされるようなもので、かなり不当な評価とも言える。

 けれども、それはそれとして。
 究極の後付理論で言うと、やはり九七式中戦車の発展する余地のある優れた設計は、この戦車の評判にとって良くなかったと思う。

 一式中戦車、そして三式中戦車は九七式中戦車を発展させたシロモノであるが、もしも九七式中戦車が余裕のない設計であれば、けっこう早い時点で九七式系列をあきらめて、もっとデカくて強そうな戦車を作り直していたのではあるまいか。

 もちろん、そんな贅沢な戦車が当時の日本でそれほどたくさん作られるはずはないし、戦争の展開に寄与することもあるまい。負け戦は、負け戦なのだ。
 しかし、少数でも強い戦車を作り、シャーマン戦車やT-34と互角に戦ったという実績さえ残せば、後々まで語り継がれることになったろう。

 そうすれば、タイガー戦車のかたわらでがんばる3号戦車みたいな感じで、九七式中戦車も旧式だが健気な戦車としてそれなりの評価を与えてもらえたのではないか――そんな風に、この記事を読んで思ったりもした。

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