『絶対可憐チルドレン 9』椎名高志 超能力が存在する時、社会はどんな風に変わるか

■本日の読書:『絶対可憐チルドレン 9』椎名高志

 最初はいつ打ち切られるかびくびくしながら読んでいたこの漫画も気がつけば9巻に。
 どうやら二桁行くのは間違いないようで。
 いやー、良かった良かった。

 ……でも、20巻まで行くようなら、それは延ばし過ぎじゃないかと思うのは貧乏性なのだろうか。

 さて、超能力者が超能力を持たないヒトと混ざった場合、迫害をはじめいろいろと問題が発生するというのは『新人類』ネタとしてSFでは定番である。
 『スラン』(ヴァン・ヴォークト)や『超人ロック』(聖悠紀)などが定番であるが、社会に与える影響を理詰めで考えたアルフレッド・ベスターの『分解された男』や『虎よ、虎よ!』のようなアプローチも面白い。

 たとえば『分解された男』は、テレパシー能力者が増えた未来社会である。この世界では、計画的な殺人は難しい。ヒトを殺そう殺そうという意識を持ちつつ町を歩いていると、その意識を偶然読み取ったテレパスに通報されちゃう危険があるのだ。

 一方の『虎よ、虎よ!』はジョウントというテレポート能力を誰もが持っている未来社会。自動車をはじめとする交通機関は姿を消し、鍵のかかったドアも侵入を防ぐ役にはたたない。

 いずれも、超能力という要素を社会に入れた時に社会がどのように変革するかを描いており、なかなかに興味深い。アルフレッド・ベスター以後では、ラリイ・ニーヴンがこの演繹的アプローチをよく使う代表だろうか。

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