著者近影に思うこと

gokan


 電撃文庫には、カバーの裏に「著者近影」がついている。

 ここの写真が、いつ頃から、本当の著者の写真ではなく「ネタ写真」になったのか定かではないが、とにかく、最近の「著者近影」は、ほとんど作者の顔写真などとは無縁の写真ばかりである。

 特に、その傾向が激しくなったのは、時雨沢さんの著者近影とあとがきが、世に出てからではないだろうか?

 まあ、なんというか「あとがき」も「著者近影」も、作者の創作物に代わりは無いわけで、そこに真実を書く必要は無いし、書かねばならないというものでもない。

 物語の本編が「読者に受け入れられるために書かれた物語」だとするなら、あとがきというのは、その物語を書き上げた作者にご褒美として「3ページくらい売り物とは関係の無いことを書いてもいいですよ」と編集さんがくれるものなのかもしれない。

 著者近影も、そういった意味で、作品世界とは別に作者が遊べる、数少ない場所なのかもしれない。

 今回、ここに掲示した映像は「小さな国の救世主・5」の著者近影として撮影した写真の一枚である。
 「小さな国の救世主」の著者近影は、作品につながりのある小道具をテーマにして撮影しており、今回のテーマは「バイオハザード」である。

 写真の小道具の背景として映っている赤いビニール袋と、真ん中にある赤いキャップの容器は両方とも、バイオハザード検体採取用の本物であり、当然未使用品である(使用済みならちょっと怖い)

 これ以外の小道具、とくに古い手術道具とかその辺の道具は、コレクションの中から拾い出してきたものだが、私はこういった「道具」とか「用具」を集め、そこから物語を組み立てていく、と言う手法を取っている。

 実際に手にとって、その感触とか、使い方とか、そういった部分が自分の腑に落ちなければ、納得行かないのである。

 作品中のキャラクターが、その道具を持ったとき、どんな気分になるのか、どんな感触が伝わってくるのか。それが、物語の根底にあると考えるからである。

 私は医者ではない。だが、物語の中に医者を登場させるとしたら、その医者は、誰が見ても「この人は医者だ」と思われるような価値観と、それに従った言動を取らなければいけない。

 「ああ、医者が言いそうな言葉だな」という言い回しのセリフと「ああ、本当の医者ならこう考えるだろうな」という考え方をして、「ああ、本当の医者ならこう行動するだろう」という行動を取らせればいいのだ。

 そして、そのためには、医者にならなくてもいい、しかし医者を知らなくては、それは書けない。

 警察官、とか傭兵とか、兵士とか、整備員とか、いわゆる「専門職」のキャラクターを物語に登場させるとき、その職業について基本的に無知な状態では、そういったキャラクターは、描けない。どうみても「シロウトのアルバイト」レベルの言動しかできないのだ。

 私の場合、その「何かを知る」ための入り口の一つが「道具」であり「用具」なのだ。

 だが、この手法には大きな問題点がある。
 本と実物の資料の山が、膨大になるのだ。
 
 無稼動実銃と、長モノのモデルガン、そして四号戦車のキャタピラとか、そういったガラクタをなんとかしないといけないのだが、裏庭に建てた七畳半の物置が、そろそろ満杯になってきてしまった。

 このあたりの「主観的宝物」(客観的無価値物)は、増える事はあっても減る事は無いので困ったものである。

 


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