三分の虫とビターなピンク。

三分の虫とビターなピンク。
 
 
 雨の路上。潰れた毛虫。
「あ……」
 傘に降り注ぐリズム。それを全身で浴びて、毛虫は死んでた。
 立ち去ろう。そう思って、なぜかその死体から目が離せない。
 毛虫。蛾に、いや、蝶になる前の姿。恐ろしい毛で身を守った姿。
 でも、毛虫の身体はとても弱くて。だから、簡単に潰れてしまう。
 なんか、人も同じだな、と思った。蝶になれずに、死んでしまう人の多いこと。
 アタシだって同じだ。今日もまた、しょうもない失敗した。ちょっと、凹んだ。
 だから、この毛虫が目についたのかもしれない。なんか、縁みたい。そう思ったから。
 
 
「だから、持って来ちゃって」
「はは。サワちゃんらしいなあ」
 てへへ、と笑うアタシに、マスターは自慢の口髭を撫でてニヤリと笑み返し。
 カフェバー『大照』は、いつもの通りの空き具合。商売っ気の欠片もなし。
 そんな店の常連であるアタシは、ハンカチに毛虫の死骸を乗せ、ふうとため息。
「部長がさ、言うんですよ。仕事できないやつは人としてダメだって」
「ふうむ」
「そりゃ、確かにアタシ、とろいし、ドジだし、でもさ」
 じっ、と。雨粒の張り付いた細い毛を見つめる。アタシも、どうせ毛虫だ。
「でもさ、サワちゃんにはあれがあるだろ、サックス」
「だからあ。アタシはアマでいくんですってばあ」
「いやいや、人生、どこに転がるかわからんよ?」
 ニヤニヤ。店長の笑みは悪ガキっぽくて、どこか憎めなくて。
 ぐったり肘をつくアタシの足下には、細長いケース。
 舞台に立つのは明後日なのに。練習、出来てないや。
「まあ、うちの面子の中にゃ、確かにアマで終わるやつも多いがね」
「でしょ。アタシだって、金が絡まないから演奏できるんだし」
 チケット代なし、出演料なし。それがこの店の舞台のルール。
 もしお金なんて取ったら、とても演奏なんで出来やしない。
「緊張しいだもんなあ、サワちゃんは」
「うっさいですよもう」
 ああ、いっその事なら毛虫にでもなって、ぷちっと潰されてしまおうか。
 ぶすぶす腐ってるアタシの前に、ふと、一杯のグラスが置かれた。
 目を向ける。鮮やかなピンク色。目を上げる。マスターの笑顔。
 手に取る。傾ける。一口含む。広がる甘み、酸味、それに。
 じわりと苦い、後味。
「う、なにこれ」
「カンパリにプラムジュース、まあ、梅ジュース混ぜてみた」
「なにそれ。そんなレシピこの店のメニューにありましたっけ?」
「新作。名前は『人生山あり谷あり』ってね。どうだ、美味いか?」
「う、うーん。確かに不味くはないけど。でも何でそんな名前?」
「そりゃ、酸いも甘いも苦しみも、ぜんぶ噛みしめるからさ」
 自慢げに胸を張るマスターは、どこか滑稽に見えて。
 でも、こうやって人生過ごせたら、面白いだろうな。
 カクテルを見る。これが人生。酸いも甘いも、苦しみも。
 ……よし。
「マスター、ちょっと出かけてきます」
「ん。どこまで? 外ぁまだ雨降ってるぞ」
「すぐそこだから大丈夫。これ、埋めてきます」
 手に取ったハンカチ。毛虫の亡骸をそっと包んで、胸に抱える。
 同胞よ。キミは先に逝ったけど、アタシはもうちょい、頑張ってみるよ。
 出かけようとして、ちょっと立ち止まる。振り返る。手を伸ばしたマスター。
「間接キス禁止!」
「ちぇー」
 ホントに残念そうなマスターの顔。悪ガキというより、ガキっぽい。
 アタシは、もうちょっと大人でいよう。そう、何となく決意して。
 ちょとだけ、良い曲できそうな気がした。そんな、雨の金曜日。
 音と毛虫とカクテルと。今日の『大照』は、ちょっとだけ、しんみり。
 
 fin...

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