戦国時代


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『城と隠物の戦国誌』藤木久志 戦国時代の緊急避難場所としての城と、戦乱の中での危機管理

 NHKのタイムスクープハンター『緊急退避! 戦国シェルター』の回を見てツイッターで皆であれこれ四方山話をしていたときに、まとめ管理人さんがオススメしてくださったのが、この藤木久志先生の『城と隠物の戦国誌』である。
 脳に刺激的な大変良い本であったので、ここに紹介する。

 日本の城は、江戸時代においてその性質を大きく変えている。戦うための軍事拠点としての城の側面を失い、統治の拠点、役所としての城にシフトしていったのだ。その結果、城は武士(≒役人)だけのもの、という印象がある。

『戦国合戦の舞台裏 兵士たちの出陣から退陣まで』盛本昌広 信長の武田家討伐情報が関東にいつ、どのように伝わったか?

 盛本昌広さんの本というと、前に『軍需物資から見た戦国合戦』という著作を読ませていただいたが、こちらでも、後北条の手紙とか公文書がよく使われていたように思う。
 戦国時代の武将はたいへん筆まめであった。今の人が携帯電話のメールをやりとりする感覚で、手紙がきたら、即返信という感じであったようだ。
 本書の序盤で紹介されている、注進状への北条家の返書からもそれはうかがえる。

「十日の注進状、今日十一酉刻到来」

『センゴク外伝 桶狭間戦記 5』宮下英樹 「ひどい雨じゃ」「まったくじゃ」「信長の部隊がどこいったかわからんのぉ」「義元の部隊がどこにおるかわからんのぉ」「え?」「え?」な桶狭間合戦

 桶狭間の戦いについに決着がついた。
 宮下英樹さんの描く今川義元は完璧超人で、最後まで「これで負けるはずはないよね」と思わせながら、なぜか負けてしまうという展開であった。
 これまで不遇であった今川義元の再評価に、本作がつながれば良いと思う。

 桶狭間は歴史に興味があれば小学生でも知っている有名な戦いであるが、実際に「何があった」のかは、よく分かっていない。昨年秋の架空戦記コンベンションのIF-CON10でも、使える史料は『信長公記』などいくつかなくはないが、どこまで頼りにしていいか分からないし、それらを総合しても、今ひとつはっきりしない、という話題が出ていた。

『戦国の城:美濃松尾山城』中井均(歴史群像No.105)を読んで 「秀元様、なんか関ヶ原で合戦になったみたいですが」「は? なんで? 大垣は?」

 私の関ヶ原の合戦の一番古い記憶は、小学校のときに読んだ「まんが日本の歴史」でお坊さんのような大谷吉継が「ふ、小早川の裏切りは予定のうちよ」とうそぶいている場面である。
 その裏切り者とされる小早川秀秋がいたのが、松尾山だ。関ヶ原を見下ろす山の上である。

 その後、関ヶ原を題材にした小説や漫画や映画やゲームやらを通して、あれこれ妄想を膨らませてきた私の中で、空白というか、意味不明のまま保留の棚に置いておいたのが、実は小早川の裏切りではなく、毛利秀元の不可解な動きである。

『IFCON-10』架空・仮想戦記のファンコンベンション、参加レポ

 2010年10月10日に都内で開かれた架空・仮想戦記のコンベンション『IFCON-10』に参加してきましたので、そのレポートを。
 といっても、内容については外には公開しにくい部分もありますので、参加して見聞きしたことを元にあれこれ脳内妄想を膨らませて三割な法螺話とさせていただきます。

・冷戦時代のソ連海軍
 「仮想戦記作者インタビュー」の富永浩史先生、横山信義先生のお話より。
 冷戦時代のソ連海軍の敵はアメリカ海軍であります。いかなソ連といえども、海の上での戦力は、戦前の日本海軍vsアメリカ海軍より開いています。

『桶狭間戦記4』宮下英樹 今川義元対織田信長、いよいよ運命の決戦へ!

 戦国時代を代表する有名な戦い、桶狭間合戦。
 奇襲説だの奇襲はなかっただの、迂回をしたら結果的に奇襲になっていただの、この戦いについてはいろいろなことが言われています。

 10/10に東京で開催された架空戦記のファンイベント『イフコン10』の戦国架空戦記の部屋で語られたことでありますが、桶狭間の戦いの流れを合理的に説明するには、必要な情報がどうやっても足りません。
 『長公記』は信長の上洛の後は、牛一さんのメモに基づいて書かれていますが、それ以前は記憶に頼ってるところも多く、どこまでアテにしていいか分からない。だが、アテにできないからといって、他に頼れる史料もないわけです。

嵐山史跡と鉢形城、見学レポ

 JGC2009に参加したあと、enoさんに誘われて、彬兄殿、めるちゃん(meltdown)、ふぁるしおん君らと、嵐山史跡、そして鉢形城を見学した。
 その時の記録と感じた内容をここにまとめておきたい。

嵐山史跡

板碑
 館内の展示物として、広島では滅多にみられない、板碑を見ることができた。
 そもそも原材料となる石板が、関東の荒川上流などで産出される緑泥片岩という変成岩で、岩にたがねさして叩けば、薄い板状の石が簡単にはがれるというものらしい。

NHK大河ドラマ『天地人』権勢を得、世の中を思うがままに動かす価値観をよしとしない視点で描かれた戦国武将の悲劇

 ご飯を食べながらながめていたNHKの大河ドラマ『天地人』では、ちょうど利休切腹の回であった。

 歴史マニアや、戦国時代好きの人たちから、かなり不評を買っている本作品であるが、その理由は、見ていてなんとなく分かる……気がする。

 価値観の違い、だと思う。

 時は戦国時代である。この時代の戦国武将の魅力は、やはり、その生き様にある。
 彼らは動乱の時代を己の力量のかぎりを尽くして生き、戦った。ある者は勝ち、ある者は敗北した。そして、勝者も敗者も、歴史の流れの中に、消えていった。

『解析 上杉家の軍事システム』河合秀朗(『歴史群像No.95』より) 龍の軍団の台所事情

 戦場でご飯を食べるには、いくつかの方法がある。

 ひとつは、食材や弁当を持って行き、戦場で食べるという自弁である。
 戦国時代では、最初の三日分の糧食は軍役の範疇ということで、自分で持っていくことになっていた。

 ふたつめは、城にある倉庫から兵糧米を持ち出して戦場まで運び、そこで兵士に配るという仕組みである。戦国時代には小荷駄という補給部隊があり、彼らに戦場までの配送を任せていた。

 みっつめは、現地調達である。戦場周辺の食料を集めて、これを食べる。これまた戦国時代には一般的な方法で、河合秀朗さんの記事によると上杉家の補給は主にこの現地調達に頼っていたらしい。

「兵は詭道なり 斎藤道三 3」岩井三四二 著

 成功し、国主になって引退して息子に任せても、院政の如く実権を手放さない困った親父斎藤道三の最後です。
結局の所、本人より傘下にいる人たちが「引退してもらわないとデメリットが多い」vs「引退されるとデメリットが多い」で争うので、
勝手に画策して内乱になってしまった。と言う形ですが、本人も灰汁が強いからなぁ……
年を取っても、決して丸くなったりしない美濃の蝮が素敵です。
まぁ、息子の視点から見れば迷惑極まりない人ですがっ(笑)

『センゴク外伝 桶狭間戦記2』宮下英樹 バブル経済が弾けた織田の家督を継いだ信長の苦難

 世の中ゼニである。
 といっても、日本でゼニ=通貨を自前で流通させたのは、それほど昔ではない。中国から律令制度を取り入れた際に、自前の国産通貨も流通させようとはしたが、結局のところ市場に対して十分な通貨を供給できずに終わった。
 そこで中国と貿易して、通貨の輸入が行われた。
 日本人にとっては、長らくゼニ=宋銭の時代が長く続いた。。
 『センゴク外伝 桶狭間戦記』の時代も、流通していたのは輸入した銭貨である。もっとも、すでに宋の時代は鎌倉の頃に終わっており、明国から主に輸入されていた銭貨は永楽通宝という、輸出専門(らしい)の貨幣であった。もちろん、銭貨はそう簡単にはすり減らないので、宋代の銭貨も流通していた。

上杉謙信 戦国時代の電撃戦(ブリッツクリーク)

 何の本だったか忘れたが、以前に上杉謙信(長尾景虎)のこんな言葉を読んだことがある。

「我に八千の兵あらば、いかなる大敵も撃破してくれよう」

 上杉謙信は本当にそういう意味合いのことを言ったのか。あるいは言ったとして単なるハッタリか、政治的な宣伝の意味ではなかったのか。

 けれど同時に、『信長の野望』でさんざんチート級な強さをみせる軍神謙信であれば、いかにも言いそうなセリフではないか。

 そこで、この謙信のセリフが正しいと仮定して考察してみよう。

『豊臣朝臣徳川家康』(橋場日月/『歴史群像No.92』より)に見る、戦国延長ゲームとしての『汝は人狼なりや?』

 『歴史群像No.92』の橋場日月さんの『豊臣朝臣徳川家康』は、前に橋場さんが『誤算と失策の関ヶ原』でも書かれていた、秀吉亡き後もまだ血に飢えた戦国武将たちの恩賞を求める気持ちが、関ヶ原への流れを作ったという視点で書かれた記事である。

 天下人であった豊臣秀吉が死んだのは1598年のことだ。
 本能寺の変があったのが、1582年。16年前。
 北条討伐をして、東北の仕置きもすませ、実質的に天下を統一したのが1590年。8年前。

「兵は詭道なり 斎藤道三 2」岩井三四二 著

 斎藤道三の歴史小説です。

 実力で伸し上がるものの、掌握しきれない地元の有力者、方針の対立で反発する息子、利権を求めて抗争を繰り広げる近隣諸国。
終わることのない、そして、選択を一つ間違えれば全てが破綻するかに見える問題が、常に山積みになっています。
悪戦苦闘するあくの強い斎藤道三の姿が魅力的です。

 まぁ、泥沼を這いずり回るベトナム戦争の如き、格好良さではありますが。

Cover image

『戦国三好一族 天下に号令した戦国大名』今谷明 織田信長の前に上洛を果たした四国の雄

 戦国大名に必要なものはなんだろうか?
 第一は文句なしに武力である。戦国時代は実力主義だ。武力のない戦国大名は、戦国大名たり得ない。
 では、その武力を支えるものは何か?
 経済力? もちろん、それはある。だが、経済力の根源となる田畑や湊などの支配力はどこから生まれるのか?
 それが正当性であり、権威であり、大義名分なのだ。

 室町時代の武家社会において、足利幕府は各地の支配者に守護という役職を持つ武家を置いた。これが守護大名である。守護大名は、それぞれの支配地域内における税収で軍事力を保持し、幕府のために奉公=働いた。

『軍需物資から見た戦国合戦』盛本昌広 いつの時代、どこの戦場でも帳面と算盤が必要なことに変わりなし

 素人は戦術を語り、玄人は兵站を語ると言う。
 玄人っぽく見せかけるのが大好きな私としては、タイトルだけで釣られてしまいそうな本書であるが、内容は平易で素人でも分かりやすく、面白い。

 一口に“軍需物資”といっても幅が広い。現代でいえば、弾薬とか燃料がこの中に含まれるだろうことは推測できる。他にも戦車とか飛行機の部品や工具とかも入るだろうなぁ、とは思う。そしてもちろん、食い物だ。

 それでは、戦国時代における“軍需物資”とはなんだろうか。

『朝倉宗滴と日本国憲法第九条』(大野信長/『歴史群像No.89』より)「どんな手をつかおうが、最終的に――勝てばよかろうなのだァァァァッ!!」とうそぶく無敵ジジイが残した大きすぎる空白

 私は『歴史群像』を読む時にはおおむね真面目な顔をして読む。内容の多くは興味深くも面白いが、おおむね「ふむふむ」とうなずきながら読むのだ。

 だが、こと大野信長さんの文章に関しては「いひひひひひ」と笑いながら読む。大野信長さんの文章の裏にある芸人の資質に強い共感を覚えるからだ。

 そうやって毎号「いひひひひ」笑いをしながら読む『激似戦国武将論信長の独断フルスロットル!』、今号は『朝倉宗滴と日本国憲法第九条』である。

『センゴク外伝 桶狭間戦記 1』宮下英樹 実は有能だった(らしい)今川義元の復権なるかの戦国漫画

 後世に残る評価という点で、今川義元はたいそう不運な武将である。
 まず彼は、戦国時代のヒーロー、織田信長に敗北した。以後、信長が大躍進したのは、今川義元を打ち破り、今川家という大敵を葬り去ったおかげである。
 続いて今川義元の敗北と戦死により、本来ならば太原雪斎の後を継いで今川家を支える武将となるはずの松平元康が独立し、後には徳川家康として江戸幕府を開く戦国の最終勝者になってしまった。家康が主家を裏切った点は、戦国時代という背景を考えれば非難される要素はまるでないのだが、残念ながら江戸時代という平和な時代にあってはそのような理屈を許すわけには政治的にいかないのである。よって、アレは裏切りではなかったとか、あまり触れない方がいいじゃんかとかの理由で、今川義元を評価しない、あるいは無視する流れができてしまったのだ。

『再考 桶狭間合戦』橋場日月(『歴史群像87号』) なぜ今川義元は討ち死にしたのか

再考 桶狭間合戦橋場日月(『歴史群像87号』) なぜ今川義元は討ち死にしたのか

 『桶狭間の合戦』について私が最初に触れた記述は 小学校の図書室にあった『まんが日本の歴史』だったと思う。
 勝利の前祝いにうかれた今川義元が、風雨をついて行われた織田信長の奇襲攻撃によって敗死する展開であった。

 さて、それから三十有余年が経過した。
 今では、今川義元がそれなりに有能な武将であり、決して油断していたわけでもなければ、織田信長が奇術師ヤンのごとき奇計を使って今川軍を翻弄したわけでもないという考察が一般的である。


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